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大空。大きな空。
空はいい。澄んだ青い空にたゆたう、たおやかに流れる白い雲。視界いっぱいに広がる空を眺めているだけで思考も気持ちも洗われていくようだ。

それに加えて波の音、そして背に感じる砂のぬくもり。
祖父所有の砂浜で寝っ転がって青空を眺めるのが子供の頃から好きだった。所謂プライベートビーチというやつだ。
とは言っても両側にそびえ立つ崖でくり抜かれたようなこの場所はそれほど広くはない。このこぢんまりとしている秘密のスポットにはちょっとした洞窟を抜けて来なければならないのでうちの家族は「我が家の秘境」と呼んでいる。

心地良さにしばし瞼が下がる。眠い訳ではなかったが、日差しもあたたかいので眠ってしまってもいいかもしれない。

「ちょっとごめん」

突然聞こえた声に反射的に目を開ける。瞬間、信じられない光景が視界いっぱいに広がり動けなくなる。
大空いっぱいに人の顔が浮かんでいた。大きいといってもこちらの視界いっぱいに収まる程度ではあるが。それでもとんでもない大きさである事には変わりは無い。
声の感じからしてそれはどうやら男性のようで、額から鼻の下辺りまでが空に浮かんでいる。浮かんでいるというよりは映し出されているのかもしれない。
夢でも見ているのか、それともこれが人生初の心霊現象との遭遇なのか。驚きから思考も体も動かなくなっていた。

「ごめん、ちょっとあの、神なんだけども」

神だった。

神と名乗ったビッグフェイスの表情は額から鼻下までしか見えない事もあり分かりづらい。

「ちょっと今、神の顔が見えちゃってると思うんだけども。なんかね、多分インカメラ?とかいうやつになってしまったみたいで。これどうしたらなおるか知ってたら教えてくれんかな」

「近くにどなたかいないんですか?」

「今ミカエルも息子もおらんのよ。というかバレたら怒られるから。特に息子にさ」

「もしカメラアプリを使っているなら、多分画面のどこかに丸い矢印のマーク…なんかウロボロスみたいなやつがあると思うんですけど」

「あーあー…あるわ。押したらいい?」

「はい」

途端に空のビッグフェイスが消え去り見慣れた青空が広がった…と思った次の瞬間には再び空に広がるビッグフェイス。

「ありがとう〜助かったわ。今度お礼に美味しいパン送るから。うちの息子上手なんだパン焼くの」

「いえ、お気遣いなく」

「いやほんと助かったから。したら今度送るから。ありがとう、じゃあね」


ビッグフェイスが消えると今度はどれ程待とうと、再びあの顔が空に映し出される事はなかった。
おもむろに立ち上がり、充分に手足を伸ばし全力で帰路を走り出した。

それからしばらくというもの、空を見上げる事が怖くて俯くようにして歩くようになってしまった。たとえあの顔が真に神であるとしても、どう考えたってこれは恐怖体験だろう。
そして後日、本当にパンが届いた。そのパンは絶品のひとことで、思わず「開けよパン屋」と独り言ちてしまった。
あれ程奇妙奇天烈な体験をしたにも関わらず、好奇心と食欲には抗えなかった。そんな自分が憎い。

驚きも恐怖も薄れて来た頃、スマートフォンに見知らぬアドレスからメールが届いた。

『何かインターネット見てたら変な画像触って、利用料金が発生したから支払えって言われたんだけど。どうしたらいい?息子に怒られるかもしれん』

こいつからスマートフォン取り上げろよ。

12/22/2024, 5:01:51 AM