「子供のままでいれば良かったね。」
隣で笑う友人に、そうだなと頷く。いつも通り補習になった俺に、友人は気まずそうに笑った。
「ホントにそう思ってんの?」
「ああ。」
補習プリントに目を通し一問ずつ丁寧に問題を解く俺に、珍しく友人は文句を言わなかった。
普段なら遅いとかこんなのもわかんないのかとか馬鹿か?という罵倒が飛んでくるが、何か心変わりがあったのだろうか。
少し気になって友人の方に顔を向けると、じっとこちらを見つめていた黒い瞳と目が合う。そのことに気づいた奴はにんまりとした笑みを浮かべて
「第3問、不正解。」
と呟いた。補習監督としてここに居座る生徒会員の友人は性格が悪いことに間違っている公式を使って計算しようが、ケアレスミスをしていようが関係なしにプリントを全部終わった瞬間に報告してくる。これがマジで苛立ちを倍増させるのだ。たとえ全問不正解だったとしても奴は何も言わず、終わった瞬間にウンウンと頷きながら新しく同じ問題の書かれたプリントを目の前に出し、
「え?終わったと思った?」
と本当に思ってるように首を傾げる。演劇部にでも入ればいいと何度思ったことか。
「ッチ。」
「コラ舌打ちしない。」
「あ?…てか子供のままでってなんで急にそんな話出したんだよ。」
思わず出てしまった舌打ちに友人は笑いながら俺を宥める。それにも苛立ちを感じるが、それよりも疑問に答えて欲しかった。
「君は子供のままでいることに多少こだわるのかなって。」
「……。」
その質問の答えは是だ。俺は、子供のままでいたかったと何度も願ったことがある。そうすれば、今より少しはマシな未来があったはずだから。
「お前はこだわらねぇの?」
「僕?…子供のままは嫌かな。」
瞳を隠すように笑みを深めた友人に、そうかとプリントの第3問に目を移した。こういう笑い方をする時、奴は大抵何かを隠すか嘘をつく。前に目は一番感情がわかりやすい。だから目は口ほどに物を言うと言われるんだよね。と話していたことがきっかけでわかったことだ。
友人の子供時代は、あまり良い思い出では無い。
聞く限り育児放棄のようなものだろう。親戚に良い人がいるんだと話す時以外はいつも話そうとしない。
「そうか。なら早く大人になれ。」
「んーそれもヤダ。」
めんどくせぇな。と漏らした声に友人は瞳を薄く開いて笑った。元に戻ったと安堵すると共にやはり昔話はお互いしない方がいいなと改めて感じる。
「大人になったらさ、一緒にお酒でも飲んで色んな話しようよ。」
「生徒会員でも酒が飲みたくなんだな。」
「そりゃあ憧れるだろ。」
窓から差し込む夕陽が沈み、補習部屋が暗くなる。
電気に照らされて明るいこの部屋には、俺と友人の2人しかいない。ここで話す関係がいつもちょうど良かった。
また話せる。そう思って大事なことを先延ばしにするのは馬鹿な事だと、その時なぜ気づかなかったんだろう。
「やっぱ、子供のままでいたかったな。」
手元にある一本の菊の花が、ビニールのラベルに包まれながらも生き生きとした白を持つ。ふわりと香る優しい菊の匂いが鼻を刺激しては、目じりが熱くなった。
「酒、飲むんじゃなかったのかよ。」
冷たい墓石への問いかけに、友人は応じなかった。
【子供のままで】
5/13/2023, 9:37:54 AM