ひなた

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 私には毎年秋のこの時期になると思い出すことがある。中学3年の秋。もうすぐ冬にもなろうという日で、私は普段よりも厚着をして登校した。空気は徐々に冷たさを増し、朝早くからやっているお店から立ち昇る湯気をも羨ましく思うほどだった。確かまんじゅう屋さんだったと思うが、寒さ故に鼻も上手く機能してくれず、あまり匂いは分からなかった。強いて言えば、感じ取れたのは寒さの匂いくらいだ。

 体を震わせながら、やっとの思いで教室に辿り着いた。まだ誰も居ない教室は静かで寒く、一番乗りの私に酷く寂しさをもたらす。暖房は早く来た子が着けるという暗黙の了解、もしくはただ寒いから着けるだけのことかもしれないが、私もそれに倣ってすっかり冷え切ったスイッチを押す。勢いよく静寂を壊す着火音。それだけでもどこか温かい。

 受験も近づいてきていたこともあって、前までのように遊んだりゲームをしたりすることはほとんどなくなった。それに部活はとうに引退している。だったら朝の時間も有効に使おう、と思い至ったわけだ。私は朝に弱いタイプであるから、次に来た友達が私を見れば驚くに違いない。母親も驚いていたことだし、きっと声を上げるだろう。
 
 昨日のホームルームで、田舎に似合わぬ若い男の担任が「受験は夜やるものじゃない。だから夜に強くなっても仕方ないぞ。夜更かししちゃう子は徐々に朝早く起きる習慣をつけるように。」といつもは見せない真面目な顔で言っていたものだから、流石の私も折れざるを得なかった。

 草臥れた首を持ち上げて窓の外をふと見遣ると、空は雲に覆われ不気味な暗さをしていて、若干雪が降っているようにも見える。こういうところはやっぱり田舎だなと思うとともに、見慣れた光景にどこか安心感を覚える。

 暖房が効き始め、足の震えも収まってきた。そろそろ勉強をし始めよう。背負ってきたリュックに白い斑点がぽつぽつと、黒の生地に映えて見える。問題集と筆箱を取り出し、少し悴んだ手で問題を解き始めた、その時だった。

 教室のドアがガラガラと音を立てて開く。友達が来たんだな驚くに違いない、と心の中でニンマリしていたのだが、聞こえてきた声の低さに、逆にこちらが肩を跳ねさせられた。「おはよう!偉いじゃないか朝早くから。」

 でも今日は学校休みだぞ?

 担任は満面の笑みを浮かべこちらを見つめている。私は耳を疑った。頑張って早起きしたのに?寒い中頑張って歩いてきたのに?

 驚いた時には私の思惑とは裏腹に言葉も出ないようで、あ、えっと、とたじろぐことしかできなかった。

 その日は特別にそのまま教室で勉強させてもらえたが、以来早起きした記憶はない。早起きは三文の損だ。温かい布団が私を呼ぶままに、もう一睡することにする――。

10/30/2023, 11:45:13 AM