〈君が紡ぐ歌〉
歌が上手いことで有名な私たち人魚の中でも、彼女は特に美しい歌声を持っていた。
私達が食料に困ることはなかった。彼女の歌を聞けばどんな人間でも引き摺り込まれてしまう。人間を主な食料とする私達にとって、彼女は居なくてはならない存在だった。
でも、ある日私は見た。彼女が陰で真珠の涙を流しているところを。
「どうしたの?」
と声を掛けると、彼女は答えた。
「私の歌は私達人魚のことは幸せにすることができるかもしれない。今まではそれでいいと思っていたし、自分の声も好きだった。でも、人間たちにとっては?私は怪物よ。歌の力を使って、好きも与えずに溺れさせる恐ろしい怪物。そんなの、もう耐えられない。」
意味が分からなかった。生きていくためには食べなければならない。それはどの生き物だって一緒で、人間でも同じだ。どうしてそんなに嫌がるんだろう?
ある日突然、彼女は姿を消した。皆んなは不思議がっていたが、私には理由が分かった。きっともう人間を殺したくなかったのだろう。
それから数年が経ち、皆んなが彼女のことを忘れかけていた。私はふと1人になりたくなり、群れから離れ、少し遠くの島まで行ってみた。驚くべきことに、そこに彼女がいた。海から少し顔を出して、あの美しい声で歌っていた。いや、少し歌の感じが違う気もした。浜辺には沢山の人間達。皆んな彼女の歌に聞き惚れている。砂浜から人間を溺れさせるのは難しい。では何故歌っているのだろう。不思議に思い私は岩の後ろからこっそり見た。
彼女が歌い終わると、人間達は一斉に拍手をした。皆が何かを口々に言う。なんと言っているのかは分からないが、どうやら喜んでいるようだった。その時、私は理解した。彼女は自分の歌を命を奪うためではなく、誰かの心を温めるために使うようになったのだ。彼女が紡ぐ歌は人々の希望になったのだ。
日が落ちてきた。そろそろ群れに戻らなければならない。私は君が歌っていた歌を歌いながらそっと泳いで行った。彼女が紡いだ歌を歌うと、心が透き通るような気がした。
10/20/2025, 10:13:18 AM