浅木

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 居なくなってから大切だって気づくんだよ。
 なんてまぁありきたりな話だなと思っていた。別に間違いだという訳じゃない。寧ろ逆だ。恐ろしいほどに正しい。いつか将来、同じことを考えて泣くんだろうとは認識していた。
 ただそんな思考も日常に流されて、数年が経ち。

 いつも通りの朝。と言ってもまだ五時の明け方に、自室の扉がノックされた。ベッドから這い上がってドアを開ければ父親で、隣県の施設に入っていた祖父の心臓が止まったという話だった。声が出なかった。
 父と母は施設に向かうという。私も着いて行きたかったが、祖母を一人で家に居させるわけにも行かず、仕方なく見送った。
 祖母の朝ごはんを用意して洗濯物を干し……と家事をしている間に再度連絡が来た。亡くなった、と。

 正直、死に目に会えなかった私には実感が湧かない。なにせ数日前に面会に行って話したばかりなのだ。痴呆が進んでまともな会話は出来なかったが、しきりに私の名前を呼びながら手を握っていた。背中や手をさすった感触がまだ残っている。声も顔も覚えているのに。
 それでも、もう居ないらしい。
 数日後、祖父に会いに行った。湯灌(ゆかん)と言って、棺に入れる前にメイクをしてもらったり白装束に着替えてもらう為だ。職員も優しい人で、頭を洗わせてもらったり、着替えを手伝ったりもした。
 あぁ。死んだんだな。なんて考えて。
 だってあれだけ頭が揺れているのに、身体を濡らしているのに起きないのだ。ずっと目を閉じて、ただ眠っているような安らかな顔で横たわっている。あんなに笑っていたのに。あんなに喋っていたのに。起きない。


 葬式も終えて、納骨、祭壇、諸々済ませて手を合わせた。年に数回会うのが当たり前だった。面会になっても、まだもう少し元気でいるだろうと思っていた。それがいつまで続くと思っていたのだろうか。永遠なんてないのに。歳も歳だ、長くはないだろうということくらい分かっていたのに。何も言えない、言う機会も完全に失われてしまった。
 声を聞くことも笑い合うことももう出来ない。だって。死んでしまったのだから。居ないのだから。遺影がこちらを見つめるだけだ。喋りかけたって相槌の一つ返ってくることはない。
 せめて、今いる大切な人達には言葉を尽くそうとメッセージアプリを開く。時間は過ぎていくし、返っては来ない。顔を合わせなくとも、声が聞けるのは今だけなのかもしれないのだから。


2024/5/12
「失われた時間」

先月祖父が亡くなりました。
お読み下さった皆様、御家族や友人でも誰でも、声が聞ける時に聞いた方が良いかと思います。
相手がいつ死んでしまうのか、いつ会えなくなってしまうのかは、誰にも分かりませんので。

5/13/2024, 11:30:40 AM