評価という概念はいつから生まれたんだろう。
人は評価したがる。
自分のものさしで見て、それが正しいとか良いとかで
星をつけ、ハートを押して、点数をつける。
点数で、自分の価値を測っているかのように、
わたしは周りの評価を、気にして、執着してる。
評価こそが、わたしのすべてであるかのように。
人生で一番大切にしていることは、
「他人からの評価です」なんて胸を張って言いたくはない。
でも、どうしてか、わたしは昔から周りの意見や評価に
敏感で、それこそが、わたしの存在する意味であり、わたしの価値だと、幼少の頃から疑ってなかった。
それが、わたしにとって、自然で、あたりまえのことだったから。
周りの意見がわたしのすべてだとしたら、
わたしの気持ちはどこにある?
知らず知らずのうちに、
わたしは自分自身をおとしめていた。
わたしの評価は常に百点満点でなければいけないのに、
わたしは、付け焼き刃の、その場しのぎの言動で
百点風を装っていただけの空っぽな人形。
真面目な人は、人にやさしい。
それでいて、自分にはとても厳しい。
人は生きてるだけで、百点満点なら、
わたしは、常に満点な、完璧な存在だと言ってもいいのかな。
そんなの、点数なんて関係なくて
人がたとえ話で表現してるだけであって、
すべてじゃない。
人はいろんなもので、「人生」を表現するのが面白い。
答えがないものは、たくさんの言葉で表せる。
答えがないから。
正しいがないから、
たくさんの言葉と、言葉以外のもので、
表現をする。
その一つが点数づけみたい。
点数づけは、あまり好きではない。
百点がよくて、零点がわるいみたいな、
そんな世の中的感覚が、少し苦しいから。
でも、点数づけで表現したいのなら
減点はなくていい。
人は生きてるだけで、百点なら、
人は生まれてきたときに、もう完璧な、百点満点。
それなら、あとは加点されるだけ。
だって、生まれてきた瞬間が百点なら、
わたしたち、あとは生きていくんだもの。
一年、一年、何年か分からない時間を
生きてるいくのだから。
今日もまた一日、昨日から数えて、一日生きることができたなら
わたしはまた加点される。
それを自分で知ることができたなら、
明日もきっと大丈夫。
感情が、受け入れを拒絶していても、
知ることが大切だから。
もう数十年、息をし続けて、
今日もまた、どうにかこうにか生きているわたしが存在している揺るぎない事実。
心が寂しくなる夜、そうやって自分を励ますの。
5/2/2023, 10:11:05 AM