♯桜
「私、桜になりたいんだ」
桜の樹の下で、彼女はそう言った。
今を盛りと咲き乱れる花ではなく、その根元――申し訳程度に生えた雑草を見下ろして。
私は疑問を覚えるも、それを呑みこんで、「なれるよ」と力強く応えた。傷だらけの彼女の手を取って、ぎゅっと握り締める。それが、今の私にできるせいいっぱい。
「だって、あなたの名前は『桜』なんだから」
――氷が溶けたら春になる。
今がどれほど辛くても、耐えて耐えて耐え抜いたその先で、彼女はだれもが目を奪われるような美しい花を咲かせるだろう。
彼女の白い頰にみるみる赤みが差していく。ありがとう――と、目にうっすらと涙を溜めて、彼女は微笑んだ。
「私、かならず咲いてみせるから……だから、その日まで待ってて」
……桜の樹の根は土中で浅く広がり、地表近くの水分や養分を吸収するという。だから桜の樹の下では植物が育ちにくい。そう、つまり彼女は奪われる側ではなく、奪う側を選んだのだ。
「なれないよ」
あのとき私が否定していたら、彼女は毒婦と人々から罵られることも裁かれることもなかったかもしれない。
……後悔しても、もう遅い。
花びらをむしられ枝を折られた『桜』は、もう二度と実を結ぶことはないのだ。
4/5/2025, 7:58:41 AM