サラマンダー・サラダ

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言葉はいらない、ただ…

町人どもも、家畜どもも寝静まった丑寅の刻。
弥七は上弦の月が照らす夜道を歩いていた。
暫く徘徊していると、前から如何にも素浪人といった出で立ちの男が現れた。
「……」
「……」
お互い立ち止まったが、どちらも無言である。
生ぬるい風が吹いて、木々をざわつかせると、弥七は歓喜にうち震えそうな手を、努めて押さえながら刀を抜いた。
相手も同じ動作をする。死人のように無気力な表情から、生の喜びを感じたかのように不気味な笑みを浮かべた。
弥七も、この素浪人も、互いに辻斬りである。
日頃は腕に覚えの在りそうな悪漢に喧嘩を売って、人目の付かないところに誘って斬り伏せていたが、どうにも飽きてしまっていた。
それが今宵は、なんたる偶然か。辻斬り同士が鉢合わせしたのである。
言葉など発せぬ内に、お互いの素性を察して、その場を斬るか斬られるかの修羅場とした。
回りくどいことなど一切無い。弥七はこの素浪人に感謝したい気持ちすら抱いていた。しかし実際に口にすれば、それすら無粋というものであろう。
ジリジリと、互いの草履が土を擦る音が響く。
その刹那。月明かりに不気味に照らされた刀同士が走り、キン!っと甲高い音を立てた。鍔迫り合いも一瞬の内に終わって、互いに距離をとる。
素浪人は息を荒げながら、満面の笑みを浮かべていた。
弥七も自分の顔が緩んでいるのを感じたが、狂喜の内にチャンバラをしたい訳ではない。
純粋に、命の駆引きがしたいのだ。
そう思って緩んだ顔を意識的に正して、相手と正対して構えた。
素浪人は応えるように上段に構える。
お互いに構えたまま、固まって相手の出方を伺う。
ススキが風に撫でられて、ざわざわと乾いた音を立てている。
不意に、風が弱まって、静寂がその場の空気を包み込んだ。
弥七の刀が先に閃光を放った。
体の右側に刀を引いてからの横斬りである。
素浪人は勝利を確信した。先に動いた相手の刀をさばいて反撃するのがこの男の必勝法であったからだ。
しかし、素浪人が振り下ろした刀は、ほとんど手応えなく地面を叩いた。
弥七は斬り込むと見せかけて、その実、相手に届かぬ剣撃を振るったのだ。
月明かりに照らされた刀が眩しいほど存在感を放っていたので、素浪人は弥七の前後感を見誤った。
弥七は返し刀で今度こそ斬り込んだ。素浪人が地面に打ち付けた刀はそれで弾き飛ばされた。
素浪人は丸腰になったが、弥七は間髪いれず、刀を振り上げた。
「あいや待たれよ!」
素浪人は先ほどまでの狂喜した表情が消し飛び、すっかり怯えた様子で、手で"待った"の仕草をしながらそう言った。
弥七は興醒めの発言に苛立ちを覚えたが、もう力を弛める気など無かった。
「問答無用!」
弥七はそう言ってから後悔した。
言葉などいらなかった、ただ…鬼畜同然の辻斬り同士、その斬り合いがしたかっただけなのだ。

8/29/2023, 5:54:53 PM