sleeping_min

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【好きな色】

「お好きな色って、ありますか?」
「え、いきなり色の質問……? ええと、ぼくは緑ですねぇ。植物の緑に囲まれると、癒されます。こう見えて、アウトドア派なんですよ」

「お好きな色って、ありますか?」
「紫かな。紫の似合う美しい女性に、つい目を奪われてしまうんですよ。あなたのような」

「お好きな色って、ありますか?」
「白。どんな色にも染まる、あるいはどんな色にも染まらない。そういう柔軟性と強さを兼ね備えているところがいいよね」

「お好きな色って、ありますか?」
「#d3d3d3、これ一択ですよ。淡い灰色を表す色コードなんですけどね、目に優しくてボクのエディタの背景ぜんぶこれっていうか、デュフ、この色に設定できないエディタはぜんぶゴミと思ってるんですけどね(以下略)」

「……あの女性、前回もいましたよね。また全員に好きな色を尋ねて回ってますよ」
「こうなると婚活パーティー荒らしだね。彼女が来るとあの容姿で人気一強になるから、ほかの女性陣が気の毒だよ」
 ホールスタッフと司会の会話が、僕の耳に入ってくる。
「前回マッチングしたはずなのに、うまくいかなかったんでしょうか」
「前回は渋々選んだ感じだったからなぁ。きっと、彼女にとって正解の色があるんだろうね。それを答える人じゃないと嫌、みたいな……」
「条件が緩いんだか厳しいんだか……。今日こそ、彼女のハートを射止められる男性が見つかるといいですね」

「お好きな色って、ありますか?」
「えっ、好きな色ですか。赤、かな……?」
 その答えを聞いた瞬間、彼女の目の色が変わった。
「どういった赤がお好きですか?」
「どういった赤……? えーと、強くて、情熱的な赤が好きですね。あと、夕焼けの赤もいいですよね。そうそう、絶景夕焼けスポットがあるので、こんど一緒に見に行きませんか?」
「……いえ、けっこうです」
 彼女はとても残念そうに首を振った。

 そしてついに、僕の前に彼女がやってきた。
「お好きな色って、ありますか?」
「ダントツ赤ですね」
 僕が答えると、ふたたび彼女の目の色が変わった。文字通り、黒から、赤へ。ほんの一瞬の出来事だったけれど。
「どういった赤がお好きですか?」
「まるで血のような赤です。深紅というか、濃いめで、色気のある赤が好きですね」
 後半は、ちらりと見えた彼女の目の色を、そのまま答えた。
 いきなりがしっと両手を握られた。白魚のような彼女の両手の中に、僕の両手がある。思わず顔がかっと熱くなる。
「私もです! 私もそういう赤が好きなんです! あなたのようなかたを探していました! マッチングには、ぜひ私の番号を書いてください!」
「え、あ、はい……?」
 まさかこんなにも簡単に、彼女に気に入ってもらえるなんて。拍子抜けだ。
 ホール内のスタッフ全員、いや、参加者までもが、僕たちを見てざわめいている。
 彼女は入場時から、男性陣の注目の的だった。紫色のすらりとしたワンピースで妖艶な肢体を惜しげもなく晒し、ちょっとした仕草にまで洗練された美しさを見せる。そういうところが魅力的というか、蠱惑的すぎる。そしてなにより、顔がいい。
 顔に醜い傷痕がある僕では、あまりにも月とスッポン。だけど、彼女は僕の傷を見て引かなかったし、「その傷は?」なんて尋ねもしなかった。醜い容姿も、危険の多い警察官という職業も、どうでもいいらしい。スタッフたちの会話通り、好きな色の一致、それだけが、彼女をときめかせる理想の条件だったようだ。
「ぼ、僕でよろしければ……」
「もちろん! あなたがいいんです!」
 彼女と過ごすこれからの時間を考えて、僕の心臓はどくんと大きく波打った。握りしめられた両手は、緊張のせいで冷たくなっていた。


「お時間あれば、どこかに寄りませんか?」
 無事マッチングを果たし、僕と彼女は二人で会場を出た。あからさまにほっとした顔のスタッフが、祝福の言葉とともに見送ってくれた。
「僕としては、人目につきにくい……いえ、あまり騒がしくなくて、落ち着いたところがいいな、と思ってるんですが」
 近くにいい場所がないかと、スマホの地図アプリを開く。こんなことなら、いい感じのスポットを事前にチェックしておけばよかった。
「それなら、ホテルに行きませんか?」
「……は?」
 耳元で囁かれた言葉に、スマホを取り落としかける。
 そ、それはもちろん、望むところではありますけど……!
 さては美人局か、裏に誰かいるのか、という思考が一瞬脳裏をかすめる。だが、美人局をする女性がわざわざ〝好きな色〟という条件でマッチング相手を探すだろうか。普通は、もっと男性を引っ掛けやすい条件を出すはずだ。「赤」が好きな男性はけっこういるけど、それは戦隊モノの主人公の影響で、きっぱりした情熱的な赤をイメージしての「好き」だ。わざわざ「血のような赤が好き」と言い出す男性なんて、中学生男子ぐらいだろう。あとは、吸血鬼。
「えっと……あ、いや……そりゃ、僕はかまいませんけどね? いいんですか?」
「ええ、もちろん」
 彼女はにっこりと胡散臭い笑顔を作って、僕の腕に細腕を絡ませた。そしてその十分後、僕たちはラブホテルのベッドの前に立っていた。
「ま、まずは……シャワーを……」
 こういった場に慣れていない僕は、しどろもどろで形式的に促す。しかし、彼女はすがるような妖艶な目つきで、僕の首に腕を回してきた。
「わかるでしょ? いますぐあなたが欲しいの」
 彼女が寄りかかってくる力のままに、ベッドへと押し倒される。
「あなたの、血が」
 彼女の目の色が変わった瞬間を見逃さなかった。
 首に突き刺さりそうだった牙を、手の甲で弾く。正確には、手の甲で彼女の顎を撃ち上げ、同時にもう片方の掌底で彼女の鳩尾を押しのけて、力任せに引き剥がした。
「ど、どうして……」
 僕が身を起こすと、彼女は顎と鳩尾を押さえ、ひどく傷ついた顔でよろめいていた。
「あなたも吸血鬼でしょ? 私、あなたの眷属になると言っているのよ? 前の主はとっくの昔に死んだわ。主が死ぬと眷属も弱るって知ってるでしょ? 私、同族の血を取り込まないと、もうすぐ死んじゃうのよ?」
 紅い目を潤ませて懇願してくる。くらり、と理性が傾きそうになる。
「……吸血鬼って、みなさんすごく綺麗じゃないですか。で、僕の顔を見てくださいよ。吸血鬼に見えます? 治癒力の高い吸血鬼が、顔に傷痕を残します?」
「変装じゃないの? 慎重な仲間なら、そうやって吸血鬼じゃないように見せかけるでしょ」
「あいにく、僕は純粋なる人間で、この傷は本物です」
 僕はベッドから離れ、彼女と間合いをとった。
「あなたが同族の匂いも銀の匂いもわからないぐらい弱ってることはわかりました。でも、どんな哀れな吸血鬼であろうと、これは僕の仕事なので」
 スーツを開き、生地の裏から手のひらサイズの十字架を抜き取る。十字架の先端は尖り、杭になっている。素材はもちろん銀だ。匂いで吸血鬼にバレないようコーティングされてるけど、敏感な吸血鬼にはすぐ気づかれてしまう。
「……あっ、警察官って……そういうこと……」
 そう、吸血鬼退治専門の下っ端警察官だ。今日は非番で、ガチで婚活パーティーに参加してたんだけどな。見つけちゃったら、おびき寄せて退治するしかない。
「というか、なんで婚活パーティーに参加してたんです? そんなところに男性吸血鬼がいるわけないでしょう」
「えっ、そ、そうなの? 男性の吸血鬼って、いつも女性を探してるから、こういうところにいるかと思って……。マッチングアプリとかと並行して探してたのに……」
 彼女は恥ずかしそうに頬を染め、おろおろと目線を外した。
 まさか、その蠱惑的な見た目で、中身は天然なのか? ギャップがすぎる。吸血鬼の好きな色は血の赤、と思い込んでる時点で、彼女のピュアさは感じていたけど。僕の中の理性がくらくらと揺れる。
 彼女の態度に翻弄されて、僕に隙が生まれた。
「ふふっ、油断したわね!」
 吸血鬼特有の長い爪が鼻先を掠める。戦闘慣れした身体が無意識にのけ反ってなかったら、また顔に傷を作られるところだった。
 のけ反りざま、背後に両手を突いてバク転の勢いで彼女を蹴り飛ばす。
 こうなると思って、いちばん広い部屋を選んでおいてよかった。
 彼女の軽い体は吹っ飛んで、壁にぶつかった。しかし、さすがは吸血鬼。ダメージなどなかったかのようにすぐさま体勢を立て直し、また飛びかかってくる。僕はまだ床に手と膝をついたまま、立ち上がりもしていないのに。
「あんたが人間ならただの餌よ! 大人しく吸われてちょうだい!」
「えっ、やだよ」
 思わず素の声が出た。
 同時に、下からの回し蹴りで彼女の足を払う。立ち上がっていなかったのは、彼女の次の攻撃を誘うための罠だ。僕に被さるように転倒しかけた彼女の顎を、十字架を握り締めたアッパーでぶち上げる。
「……くっ」
 彼女は頭を押さえて、膝をついた。吸血鬼にも脳震盪はあるらしい。一瞬だったけれど。
 僕がゆっくり立ち上がると、彼女もすかさず立ち上がり、さっと間合いをとった。一筋縄ではいかないと察したのだろう。それはそう、ぱっと見は細身で小柄な僕だって、血反吐はきながら格闘技の訓練を受けた、プロの警察官なんだから。
「前回のパーティーでマッチングした人も、アプリでマッチングした人も、そうやって吸っちゃったんですか?」
 僕が一歩踏み出すと、彼女は一歩下がった。
「当然よ、干からびるまで吸い尽くしてやったわ!」
「うわ、ここ最近の男性の失踪事件の犯人、見つけちゃったかも……」
 彼女の家を捜索したら、何体かミイラが見つかるかもしれない。あとで婚活パーティーの主催から彼女の情報を聞き出さなくちゃ。
 僕がもう一歩踏み出すと、彼女はさらに一歩下がった。
「ちなみに、これまで殺した人数は?」
 さらに一歩。
「数え切れるわけないでしょ」
 さらに一歩。彼女は壁際に追い詰められた。それ以上近づくなと言わんばかりに、長い爪を構える。
「それを聞けてよかった、危うくあなたに求婚するところでした」
「え、きゅうこ――」
 彼女が目を泳がせた一瞬を見逃さなかった。僕は縮地で彼女の懐に飛び込んだ。身を低くして爪を掻い潜りつつ、体当たりの勢いで、まっすぐに杭を打ち込む。
 吸血鬼の心臓に。
 とっさに僕の背へ突き立てようとしていた爪が、両腕とともに、だらりと落ちる。爪の先端は僕のスーツを引き裂いていた。
「ちなみに、僕が本当に好きな色は、銀です。職業柄、ね」
 杭の先が心臓を仕留める手応えは、何度経験しても慣れるものじゃない。だけどこの杭がなければ、吸血鬼と対等に戦うことはできない。僕の命綱だ。好き、というよりは、依存してるのかもしれない。
「でも、あなたが着ていた紫色も、けっこう……」
 杭を握りしめた両手を包むように、灰がさらさらと崩れていく。紫色のワンピースごと。
 相手が吸血鬼じゃなかったら、と何度思ったことか。何度、彼らの美貌に惑わされたことか。そして、何度裏切られたことか。
 吸血鬼が人間を餌として見ている限り、僕たちが相容れることはないのに。
 彼女がすべて灰になったのを確認し、提携先の清掃業者に電話をかけた。いつも通り、灰の片付けを依頼する。
 洗面所に行き、手に残った灰を洗い落とす。目を上げると、醜い傷痕が鏡に映る。
「……あーあー……へこむなぁ……」
 洗面台の下にへなへなとしゃがみ込む。
 清掃の人を待つ間に報告書作らなきゃ。主任にはまたからかわれるんだろうな。「非番でも吸血鬼をほっとけないなんて、君はほんっと真面目ちゃんだねぇ」って。
 だって、彼らはあまりにも美しすぎる。ほうっておけなくなるほど。
「非番のときってスーツ代申請できたっけ……? 次の婚活パーティーも、申し込まなくちゃな……」
 もしまた弱った吸血鬼が潜り込んでいて、その美しい唇と蠱惑的な瞳で好きな色を尋ねてきても、二度と「血のような赤」なんて答えない。僕は心に誓った。

6/22/2023, 6:51:46 AM