イオリ

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 隅のテーブル席をひとりで独占していた。土曜日の午前中はよくここで過ごす。

 古いが清潔感のある喫茶店だ。僕はいつもの席に座る。この席はいつも空いていてくれて、秘かに僕のための指定席だと思っている。

 席につくと、アルバイトの若い女性がオーダーを取りに来る。ホットケーキとコーヒーで、いつも通り言うと、はい、とだけ言って下がっていく。

 調理するのは、老店主だ。慣れた手つきであっという間に出来上がる。本を開いて待っていたが、それもつかの間、テーブルに運ばれた香ばしい香りがページを捲る手を止める。

 シロップたっぷりのホットケーキとブラックコーヒー。ちょっと行儀悪いけど、ハードカバーの本を広げながらそれらを堪能する。週末の秘かな幸せ。

 数十回通っているので、僕の顔は覚えられているはずだが、アルバイトの女性も老店主も挨拶と注文以外は何も声をかけてこなかった。そういうことを望む客ではないと察していたのだろう。その気遣いもありがたかった。
 

 特に気に留める事もなかったのだが、喫茶店の名前は『きずな』という。てっきり人と人との繋がり、という意味でつけられたのかと思っていたが、もしかしたらそうではないのではと最近思い始めた。

 人と人の間、という絆は比較的最近の使われ方らしい。本来は、動物を繋いでおく綱、という意味だそうだ。

 絶品のメニューと心地良い雰囲気、という綱で、僕はこの店に繋がれているのでは。なんてことをふと思った。美味しいコーヒーを愉しんだのに、あいも変わらず僕の心は捻くれたまま。

 

 

 
 
 

3/6/2024, 1:10:20 PM