sairo

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「いらっしゃい」

祖母の温かな声に出迎えられて、家の中へと招かれる。

「久しぶり。大きくなったなぁ」

祖父が笑う。
それに会釈をして、靴を脱ぎ玄関を上がった。

夏休みの後半は、いつも祖父母の家に一週間滞在する。
毎年同じ台詞を繰り返す祖父母は変わらない。ここに来るまで見てきた村の様子も、おそらくは家の中も変わらないのだろう。

「お邪魔します」

小さく呟いて、いつものように部屋へと向かう。
祖父母の家に訪れる度毎年利用する部屋は、やはり祖父母と同じく変わりはなかった。
部屋に入り、横になる。自分の家では嗅ぐことのないい草の匂いがして、深く息を吸い込んだ。
夕飯までは時間がある。
さてどうしようかと横を向いた時、目に入った古いラジオが気になった。
体を起こし、手に取って電源を入れる。つまみを回すが、どの番組も僅かに音が聞こえるのみだ。
諦めて電源を落とそうとした時、ノイズが途切れた。耳を澄ますと、微かに古い歌が聞こえてくる。

「――聞こえていますか」

歌の合間に、はっきりとした女の声が囁いた。それきり、声も歌も聞こえなくなり、溜息を吐いてラジオの電源を落とす。
ラジオを戻し、窓へと近づいた。
窓を開ければ、涼しげな風が吹き込んでくる。
目を細めて空を見上げ、澄んだ空気を吸い込んだ。
心地の良い風に吹かれながら、庭先へと視線を落とす。
広い庭。祖父が手入れを行っているだろう松などの木々を眺め、その近くの畑を眺める。
トマトやナス、キュウリ。トウモロコシやカボチャなど、様々な野菜を視界に入れて控えめに腹が鳴る。
苦笑して、その側に咲くひまわりの花へと視線を移した。十本ほどのひまわりが大輪の花を咲かせている。だがその違和感に、眉を潜めた。
太陽とは真逆を向いている。皆一様に、太陽ではない方向に向けて咲いていた。

ひまわりが、こちらを見て咲いていた。

緩く頭を振って、窓を閉める。
きっとそれは自分の気のせいだろう。



数日が過ぎた。
今年も同じように、祖父母の家で過ごしている。
縁側でスイカを食べ、畑を手伝い、暇になれば周囲を散策する。
いつもと変わらない。

「明日はお祭りだからね。浴衣を出しておこうか」
「今日じゃないの?昨日、同じことを言っていたけど」

首を傾げて聞き返す。
祖母は昨日、全く同じ言葉を告げていなかっただろうか。
しかし祖母は穏やかに笑うだけで、何も言わない。

「去年よりもまた大きくなったからな。お前の父ちゃんの浴衣が入ればいいんだがな」

居間でテレビを見ていた祖父が、昨日と同じ台詞を繰り返す。

「大丈夫ですよ。あの子には大きかった浴衣を残してありますから。それを出しましょうね」

同じ台詞。同じ口調。笑い方さえ同じ調子で、二人の会話が続いていく。
その違和感に耐えられず、適当に誤魔化し部屋に戻った。


一人になって、溜息を吐く。
祖父母の様子を思い出しながら、手慰みにラジオの電源を入れる。
つまみを回しても、何も聞こえない。砂のようなノイズを聞きながら、気持ちを落ち着かせていく。
不意に、ノイズが途切れた。微かに古い歌が流れて、静かに誰かの吐息が混じる。

「――どこにいるのですか」

女の声。それきり沈黙し、やがて歌もノイズに掻き消される。
電源を落としてラジオを戻す。
そう言えば、今日見たテレビの内容は昨日とまったく同じだったことを、今更ながらに気づいた。
気分を変えるために、窓を開けた。吹き込んだ風の冷たさに、ほぅと吐息を溢し何気なく庭に視線を向ける。
目に入ったそれに硬直する。
大輪のひまわり。背が伸び、数を増やして咲いていた。

その花の向きは、やはりすべてこちらを向いていた。



「明日はお祭りだからね。浴衣を出しておこうか」

あれから何日が過ぎたのだろう。
同じ台詞。変わらない番組。いくら繰り返しても、次の日は訪れない。

「去年よりもまた大きくなったからな。お前の父ちゃんの浴衣が入ればいいんだがな」

そっと居間を出た。
きっと二人は気づかない。同じ台詞を繰り返し続けている。

部屋に戻る気にもなれず、外へと出た。
強い陽射しと、冷えた風。
誰もいない小道を抜けて、当てもなく歩いていく。
しかしすぐに、その足は止まった。

一面のひまわり畑。
昨日までは田んぼだったはずのその場所に、ひまわりの花が無数に咲いている。
風に花が揺れている。自分と同じ背丈の花が、ゆらゆらと。
その花はすべて、太陽ではなくこちらを向いていた。
息を呑み見つめるひまわり畑の奥。小さな人影が見えた。
夏着物を着た女。髪を上げ、俯いている。
女がゆっくりと顔を上げる。はらりと一筋髪が流れ落ち、女の顔が見えてくる。
咄嗟に目を閉じた。深呼吸をして、そっと目を開ける。
女の姿はどこにもない。無数に咲き乱れるひまわりも消え、青々と茂る稲穂が風に揺れているだけだった。

踵を返して、家へと駆け出した。
乱暴に玄関扉を開け、転がるように中へと入る。
ぴしゃりと扉を閉め、靴を脱ぎ散らかしながら部屋へと駆け込んだ。
畳みに倒れ込む。荒い呼吸を落ち着かせて、仰向けに寝転んだ。
不意に、触ってもいないラジオがついた。
しばらくノイズを吐き出して、何回か聞いた古い歌を流し出す。
そして、歌が止む。躊躇うような誰かの吐息が溢れ、息を呑む音がした。

「――いつまでも、お待ちしております」

女の声でそう告げて、沈黙する。
ラジオの電源が落ちて、ざわりと風が吹き込んだ。
視線を向ければ、窓が開いていた。
その窓の端で黄色が揺れている。
吹き込んだ風が、花弁を運ぶ。黄色い花弁。窓から視線を逸らせない自分の上に降り注ぐ。

窓の外で、いくつものひまわりの花がこちらを見て咲いていた。



同じ朝。同じ台詞。同じ番組。
繰り返す同じ日から、逃げ出すように外へ出た。
家の外はひまわりに囲まれている。
田んぼや畑。隣家さえ、ひまわり畑に変わっていた。
ざわざわとひまわりが揺れる。見下ろす目線で、こちらを向いて咲いている。
僅かな隙間を見つけ、駆け出した。
どこまで行っても変わらない。視界を埋める黄色が、離れない。
息が切れ、足が縺れる。ふらつく自分をひまわりが見下ろしている。そう思うと、立ち止まることができず、苦しさを誤魔化し必死に走る。

不意に、開けた場所に出た。
思わず立ち止まる。吹き出す汗と涙で滲む視界を拭い、前を見る。

中心に、いつか見た女が立っていた。
夏着物。薄い色。帯は落ち着いた紺。
顔を上げ、女は真っ直ぐにこちらを見つめている。
その綺麗な唇から、静かに言葉が紡がれた。

「いつまでも、おかえりをお待ちしております」

ラジオを同じ声。美しい、愛おしい声音。

違う、と咄嗟に否定する。
彼女が待っているのは自分ではない。
違うのだと否定しても、じわりと広がる何かが、胸の奥で肯く。
ようやく帰って来れた。長いこと一人にさせてしまったのだと、自分の中の何かが悔やむ。
自分の意思に反して、ふらつく足が前に出た。土を踏み締め、一歩ずつ近づいていく。
ひまわりがこちらを見ている。自分と彼女の再会を見届けている。

「おかえりなさいませ」

彼女が微笑む。
その瞬間に、彼女を否定する思いが砕けて消えた。

「あぁ、ずっとここで待っていてくれたのか」

言葉が溢れ落ちる。
彼女の華奢な肩を引き寄せ、強く抱きしめた。
懐かしい香り。陽と水と、土の匂いを吸い込む。

足下で、根が絡む音がした。





「いらっしゃい」

温かな声に出迎えられ、荷物を抱えた若者が家の中へと入っていく。

「久しぶり。大きくなったなぁ」

笑顔で告げられた言葉に、恥ずかしげに笑う。靴を脱ぎ会釈をして、促されるままに奥へと向かう。
その背を追い、庭のひまわりが一斉に顔を向けた。

蝉時雨が響く。
テレビは同じ番組を流し、人々は何も気づかず同じ台詞を繰り返す。
ラジオから古い歌が流れてくる。ノイズ混じりに、かつての日々を何度も歌い上げる。

枯れないひまわりが、ただ一人を向いて咲く。
夏は終わらない。

何度でも、繰り返す。



20250817 『終わらない夏』

8/19/2025, 6:59:15 AM