たそがれ時は色が黒に寄り、影絵になりゆく時間帯。
日が落ちりゃ地面が伸びたように物体の影が長くなり、影が影でなくなる。そのような感覚を時折覚えるようになった。
今年の前半、「デ・キリコ展」というのを上野の美術館でやっていて、僕は知識ゼロでその人の絵画を見てきた。
夕暮れ時をよく描くなあ、と思ったものである。
美術館にて、その人の説明文を斜め読みすると、夕暮れ時に天啓を受けて、このような不思議な絵を描くようになったんだと。
その時まで、夕暮れ時に対し、「綺麗な色彩」とか「一瞬の光景」などというように、良い印象を持っていたけれど、色合い的には闇夜に切り換わるわけなのだから、負の印象を持つのが感性的には正解といえる。
それは僕たちは生まれる前からもう、地球は自転するものだと当たり前のように知っているから、日没前のこの不気味な時間帯を不気味だと認識しないのだ。
日が没するという表現も、今考えてみると素敵だ。
没するとは、沈むではなくて一旦死ぬということだ。
だから昔の人は、一日のうちに太陽は生まれ、そして死んでを繰り返すことに対し「奇跡」だという風に自然信仰をするようになる。
繰り返すことが「奇跡」だと思ったわけです。
対し、僕を含む現代の人たちは、繰り返すことに対して飽きてきている。感謝の念を抱かずにいる。
そっぽを向いた目の隙に、本当は太陽は生まれ変わっているのかもしれない。
その光景を影は影絵の一員として表現しようとする。
それを当たり前と受け取るか、デ・キリコのように芸術的延長線と捉えるか。
あるいは、「ふと」と気づいたように、たそがれに呼び寄せられ、影絵の住人になるか。
僕は住人になる資格……たそがれ時に外にいない。
10/2/2024, 9:54:02 AM