記憶の地図ではこのあたりにあったはずだ
あったはずなんだが、無い
俺が会社員時代によく通っていた喫茶店
あそこのナポリタン、美味かったんだよな
変に凝った作りじゃなくて、昔ながらのナポリタンって感じでさ
その上で、主張しすぎない確かな個性を感じさせてくれる味だった
最後に食べたのはいつだったろう
ここへ来るまでに長い月日がかかってしまった
あの頃の店主の年齢から考えれば、店を畳んでしまってもおかしくはないか
残念だが、諦めるしかない
……いや、店主には息子さんがいて、将来は親父の店を継ぐつもりなんですとか、俺にこっそり教えてくれたはずだ
その時の意志が変わっていないなら、今は二代目店主になっていてもおかしくはない
もしかしたら、喫茶店は移転したのではないか?
可能性があるなら家族に頼んで聞き込みだ
家族は快諾してくれた
ありがたい
早速近くの人に聞きに行ったわけだが、結果を言おう
やはり移転していた
予想通り、今は息子さんが二代目だそうで、いまだ地域で愛されているらしく、すぐに知っている人と出会えた
というか、最初に話しかけた人が知っていた
教えてもらった通りの場所へ行くと、あの頃と似た雰囲気の喫茶店がそこにあった
入ってすぐ、いらっしゃいませ、と穏やかな声が聞こえた
ああ、間違いない
息子さんだ
あの時、ちょっと騒がしい高校生だった彼が、落ち着きのある素敵な店主になったじゃないか
向こうは変わってしまった俺に気づかないだろうけど
表には昔と同じメニューが並ぶ
懐かしいな
俺はもちろんナポリタンを注文した
しばらくして運ばれてきて、俺は早速フォークに巻いて口に運ぶ
それはまさしく、あの頃の味だった
先代の、親父さんの味をしっかりと受け継いでいるじゃないか
ふと店内を見回してみると、いくつかの写真が額に入って飾ってあった
見覚えのある顔
常連客の人たちだ
みんなにも、長く会えていない
きっと、会って会話することもできないだろう
その中に、昔の俺と初代店主、二代目店主が写る写真があった
俺も、大切な常連だと思ってもらえていたんだな
そういえば、この喫茶店は客との距離が近く、親父さんはよく会話を楽しんでいたが、今の店主はしないのだろうか?
そんなことを考えていると、店主がこちらに来た
「あの写真が気になりますか?」
「ああ、はい
いい写真だなと思って」
あの写真
俺が写った写真だ
「あれ、私と父と、昔よく来てくれた常連の方なんですよ
今は引退してしまった父のナポリタンを気に入ってくれていた人でした
あの人に、僕のナポリタンを美味しいと言ってもらうのが目標だったんですけどね
納得のいくものを作れるようになって、これなら満足してもらえるだろうというものを作れるようになった頃には、もう亡くなってしまっていましてね
僕が父の店を継いだ今の姿、見てもらいたかったな」
彼は、寂しそうに言った
「すいません、こんな話されても困りますね
でも、なんででしょうね、突然話したくなってしまいました」
「その人、きっと喜んでいると思いますよ
お店を継いで、続けてくれたって」
「そうですね
天国で、見ていてくれると嬉しいですね
ありがとうございます」
生まれ変わった今の俺は、常連ではないただの小学6年生の少年
だが、時代が変わり、店主が変わり、生まれ変わっても、このナポリタンの味は変わらず美味かった
一緒に来てくれた家族にまた頼んで、たまに食べに来よう
6/16/2025, 11:52:21 AM