ドルニエ

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 誰かのためになるならば。
 ――仮定の問には答えないよ。
 ――政治家みたいなこと言わない。
 冗談だよ、と君に睨まれたので謝り、考えを巡らす。けれど、答はそのへんにも、どこにも、頭の中にもちょっと見あたらなかった。
 だってしょうがない、誰かために、誰でもない誰かのためにしたいことなどそうそうない。目の前で怒っている君に、独立して都会に出たきょうだいに、あるいは故郷かどうかも分からないあの町で別れた仲間に、したいことなら色々ある。そうでなくてもどこかで飢えてる人ためには寄付だってするし、地域猫の活動とか、引退馬の世話をする牧場とか、そういうのにならやっぱり多少の額なら出す気になれる。だから名前も顔も知らないから、なんにもする気になれないのではない。そのへんで財布を拾いでもすれば、がめずに交番に持っていく程度の根性ならあるさ。でも、それらは「ため」っていうより起こったことに対するリアクションだろう?君が聞きたいのはたぶんそういうことじゃない。でも、僕から世界に関わっていく理由がないんだよ。僕は世界を愛さない。分かってるだろう?分かっていてそんなことを訊くのだから、君もたいがい酷いじゃないか。だからちょっとだけすねた調子を声にのせて、君にならしたいこともあるんだけどね、なんて言うと、君は呆れたように、それは何?なんて言う。試すように、挑むように。僕は黙って立つと台所でがりがりミルを回し、二杯分のエスプレッソを用意する。一杯はグラスに氷を満載したのに注いで、もう一杯は熱いまま。熱々のほうを君の前に置くと、君はちょっとだけ口もとを歪めて、ひと息でそれを飲み干して、熱かった、と言うと、僕の冷えたコーヒーをひと口、堂々と盗み飲んだんだ。

7/26/2023, 1:14:24 PM