ほたる

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花言葉というのは、どうも胡散臭い。胡散臭いという言葉は違うか。押し付けがましいというか、感動的なストーリーを無理矢理作った作者の意図が見えてしまった時のような気持ちになる。
花はいつか枯れるのに、希望とか幸福とか私を忘れないでとか、そういったものを託して贈るのはあまりにも儚いとも思う。花屋勤務だからこんなことを思うのかもしれない。
毎日沢山の人が、さまざまな理由で花を買いに来る。祝い事やお見舞いなどその背景がそれぞれなのはどの店も変わらないのだが、花屋というのは客とコミニュケーションを取ることが比較的多い。というのも、客側から話してくれることが多いというべきか。どんな花がいいと思うか、などという相談の際に、自然とそういう会話が生まれるのだ。私はその度に心の底でそれを妬んでいた。花を贈りたいだなんて、人生で一度も思ったことがない。それがどういう事情であれ、きっとその人は生まれてきた意味をしっかりと享受して真っ当に生きているのだろうと思う、実際はどうあれ。それが酷く羨ましいのだ。

この先、誰かに花を贈りたいと思える日が私にも来るだろうか。もしかしたらそんな未来もあるかもしれない。だけど私にはそんなことをできる自信はない。そう信じきっているつもりで、けれどもそんな人が現れてくれたら、私の人生はきっと今とは全く別のものになるだろうな、と妄想をする。

私はこの花屋で、人の希望を観測している。
いつか私も、観測される側になりたいと思いながら。

4/8/2025, 7:29:04 AM