七雪*

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 窓の外は雪が降っている。
キーボードを叩く手を止めて、とうに湯気が去った
コーヒーに口をつける。

薄く埃の積もった窓枠の向こうに、寄り添う二人の若い男女が
手を絡ませて歩いて行くのを見つけた。
デスクのカレンダーを見遣れば、もうクリスマスは間近に
迫っている。イルミネーションのちらちらとした街の中へと
消えて行った二人の表情は、背中越しには見えなかった。

 飲み終えたコーヒーのカップをシンクに置き、
デスクの上に腰を据えたパソコンに向き直る。
書いても書いても雪の様に降り積もって行く課題には、
正直なところ、嫌気が差していた。
文字の打ち込まれていない真っ白な画面を見ていると、
妙な脱力感が身体を支配した。なんだか先程のカップルが
憎らしく思えてくる程に、私は現状に満足していなかった。

デスクから離れ、溢れ出る苛立ちを隠そうともせずに派手に足音を鳴らし、シンクの前に独り立った。
蛇口を勢いよく捻り、透明なグラスに水を注ぐ。
グラスに映り込んだしみったれた女の顔を睨んで、
一気に水を飲み干した。
雪解けの様な水が、火照った頭を芯から冷やして行った。

きっと、私は嫉妬していたのだ。

ずっと逃げていた。感情に重い蓋をして。
デスクの上に置かれた、カレンダーの後ろに手を伸ばす。
窓枠よりも深く埃の積もったそれは、小さな写真立てだった。
木枠に囲まれた写真には、照れ臭そうに笑う私と、朗らかに
笑う彼が収まっている。

 久しぶりに目にした過去に、心が微かに揺れた。


ーー俺、海外に行こうと思ってる。

三年前の夏の日、彼は私にそう告げた。
ぎりぎりまで進路を決めかねていた彼の事だ。相当悩んで
出した答えなのだという事は容易にわかった。

そう、と言葉を返すと、彼は真剣な顔で私の顔を見つめた。
どくん、と鼓動が大きく鳴った。
一緒に、来てくれないか。
束の間の静寂を破ったその言葉に、私は酷く困惑した。
私には夢があった。ただ一心にそこを目指して努力してきた。
その努力を水の泡にする様な事ができる程、
私は強い人間ではなかったのだ。
私が震えた声で誘いを断った時、彼はその答えを知っていたかの様に微笑した。そして、待っていてくれ、と私に言い残し
彼は私の前から姿を消した。

 最初は続いていた文通もいつしか途絶え、春になって
彼が海外へ行ったという話を風の噂で聞いた。
三年の月日が経った今、彼が何処で何をしているのかを知る術など、私にはなかった。幸せそうな写真を親指の腹で優しく撫でる。当時の私達は未来の自分達がどうしているのかなんて、
考えてもいなかっただろう。愛おしい“今“を当たり前のように
享受して生きていたのだ。不意に目頭が熱くなった。

そんな過去の余韻をかき消すかの如く、大きな呼び鈴の音が
鼓膜を叩いた。

 跳ね上がる様にしてその場を離れて玄関に向かう。
こんな夜更けに一体誰が尋ねて来たのだろうか。
覗き窓から外の様子を窺ってみたが、人の影は見えない。
鍵を開けてそっとドアを開けると、ドアに何かが当たった感触がした。不思議に思い視線を下げると、ラッピングされた
小洒落た小箱が置かれていた。しかし、何よりも先に
私の目に飛び込んで来たのは、見覚えのある字で書かれた
イニシャルだった。小箱を拾って部屋に戻り、灯りの下で
まじまじと見つめる。やはり、先程まで思い描いていた彼の
字だ。恐る恐る赤い紐を解き、箱を開く。

 中に入っていたのは、折り畳まれたメッセージカードと
さらに小さい箱。

ーークリスマスの夜、あの公園で待ってる。


 ある年のクリスマスの夜。小さな公園で二人の男女が
語らっていた。涙を拭う彼女の手に光る真新しい指輪を、
月が優しく照らしていた。


『夢から醒める前に』

3/20/2023, 1:56:25 PM