【さよならを言う前に】
白檀の香りが仄かに漂う室内。美しい調度品の数々は、歴代の『神子』たちをもてなすために長い年月をかけて集められたものなのだろう。豪奢な和室の様相の中で、無機質な鉄格子だけが明らかに浮いていた。
七年に一度の崇高なる儀式、なんて村では言われているけれど。ようはそれだけの頻度で、いるのかどうかもわからない神様相手に生贄を捧げているということだ。神子に選ばれたものは一年間をこの座敷牢に閉じ込められ、そうして神へと捧げられる。
ふと、君の姿を思い出す。さようならと告げたけれど、返事はもらえなかった。村人たちに連れて行かれる僕の姿を、ただ下唇を噛み締めて睨みつけているばかりだった。
(ちょっと、もったいないなぁ)
最後に見るのは笑顔の君が良かったのに。そんな詮無いことを考えていれば、押し殺したような足音が僕の鼓膜を震わせた。
黙って目を瞑る。此処に訪れるということは、村の上層部か世話役の連中かだろう。話すことなんて何もない。
「――迎えにきた」
反射的に顔を上げた。毎日のように聞いていた声。鉄格子の向こう、見慣れた幼馴染が真剣な表情で僕を見下ろしていた。
「さよならなんて言わないからな。それを言う前に、俺たちにはできることがまだあるだろ」
カシャンと乾いた音を立てて、鉄格子の錠前が外される。開いた格子から、君は手を差し出した。
「逃げるぞ、一緒に」
目頭が熱くなる。何で。何で君はいつだって、僕の手を引いてくれるのだろう。震える自分の手を、君の無骨な手へと重ねる。ニッと快活に笑った君は、僕の手を力強く握り返してくれた。
8/20/2023, 10:02:12 PM