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“心の健康”



 人の気配に気がついて俺が頭を上げる前に、ドカッと大げさな音と共にソファが揺れた。隣に人が勢いよく座ったせいで傾くソファに合わせて傾いた頭を隣に座った男の肩に着地させる。いつもだったらこんなことしないし、彼だってこんなこと許しはしない。天変地異でも起きなきゃ俺達二人が大人しく並んでいられるわけがないなんてよくからかわれていたけれど、天変地異は存外簡単に起こるものらしかった。
 彼の呼吸にあわせてゆったりと揺れる肩は、思いの外しっかりと筋肉に覆われている。もう少し骨骨した感触を想像していたのに、やけにしっくりとフィットしてしまい頭を離すタイミングを見失っていた。彼が文句を言ったら、彼が動いたら、彼がしびれを切らして拳を握ったら。そうしたら離れようなんて思ったけれど、彼は俺の存在を忘れてしまったかの様に、手元にあった分厚い本を広げて読み出してしまった。

 彼の細くて白い指がページをめくる音だけが部屋に響く。指が動く度少しだけ肩が揺れる、そのリズムがじんわりと俺の心に沁みて、なんだか無性に泣きたくなった。もしかしたら、今の彼なら、許してくれるんじゃないだろうか。じわじわと涙が滲んでくるのに抗うことはしなかった。もう何滴も彼の肩に涙がこぼれ落ちたけれど、やっぱり彼は動こうとはしなかった。
 肩が湿って気持ち悪いだろうに、真横に座る大の大人がベソベソと情けなく泣いているのを気にもせず、変わらないペースで本を読み進めている。試しに少しだけ体重を預けてみてもその身体はびくともしないし、本を読むペースも変わらない。気づけば頭どころか上半身全てで彼にもたれかかっていた。

 彼の呼吸にあわせて俺の身体も揺れる。もう少しだけ、あと少しだけ、涙が止まるまで、それまでもうちよっとだけこのままで。許しを乞う様に頭を擦り寄せると彼がフッと笑った気がした。

8/13/2024, 1:19:37 PM