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『喜楽』

「なぁに?」


名前を呼ぶと嬉しそうに駆け寄ってきて、ぎゅうと私を抱きしめると、いつもの可愛らしい声で返事を返す。

人のことをよく見ている喜楽は、感情の変化に敏感に気付く。

きっと今の私の感情に気づいたのだろう。


『ねぇ』

「ん~?」

『もっと抱きしめて』

「もちろん!」


ぎゅう、と苦しくならないギリギリまで強く、それでいて優しく抱きしめてくれる。

背中に手を回し抱きしめると、同じくらいの力で抱きしめ返してくれた。

するととたんに香る甘い匂い。

ブラックデビルという銘柄の煙草の愛用者である喜楽は、職業柄多少なりとも付く血の臭いを嫌う。

その臭いをかき消す為に吸い始めたと言っていた。
かと言って口臭は煙草の匂いではなく、これも彼女が愛用している飴の匂い。

近くで触れるときだけ香る甘い匂いが側にあるだけで、私は安心する。


途端、喜楽の電話が鳴った。

一言謝る言葉と共に、私を包み込んでいた熱が離れた。

すると、ふいに一人きりになったように感じてしまう。

涙が思わず溢れそうになる。

駄目だ、あの時はここまで私は涙もろくなかった。
あんなことにでさえ耐えれていたのに。

何で今更。意味ないのに。無駄なのに。

歯を食いしばり、唇をつり上げ笑みを浮かべる。
不格好だろうが、泣くよりましだ。着丈に振る舞わなければ。

すると電話が終わったらしい喜楽がこちらを振り向く。



「ねぇ」

『ん?何?』

「さっきより強く抱きしめて」

『! ……勿論』


矢張り喜楽は感情の変化に敏感だ。

甘い匂いを胸一杯に吸い込みながら、私は喜楽の服を濃く染めた。






ーお題:空を見上げて心に浮かんだことー

7/16/2023, 11:38:10 AM