sairo

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数本の棒針を操り、毛糸玉から色鮮やかな幾何学模様のセーターが編み上がっていくのを、少年はどこか夢見心地で眺めていた。

「そんなに見られると、ちょっと恥ずかしい」

手を止めて呟く少女に、はっとして視線を逸らし俯いた。

「ごめん。何だか魔法みたいで、すごかったから」

謝罪の言葉と共に正直な感想を述べれば、少女の頬が朱に染まる。
見れば、俯く少年の耳も少女の頬と同じ色に染まっていた。

「ありがとう。暇で始めたものだけど、そう言ってもらえると嬉しい」
「暇なの?」

意外な言葉に、逸らしていた視線を戻し少女を見る。つい先日出合ったばかりの間柄ではあるものの、記憶にある限り少女は果樹園や畑での作業に忙しくしていたはずだった。

「収穫が終わってしまうとね。やる事も少ないし、何より皆が外に出してくれなくなるから」

困ったようにはにかんで、この時期はやる事が限られて退屈なのだと少女は愚痴る。彼女の家の庭に住まうモノ達や何よりあの過保護な妖ならばやりかねないな、と少年は少女に対して甲斐甲斐しく世話を焼く彼らの姿を想像して小さく笑った。

「笑わないでよ。困っているんだから」
「大切にされている証拠だよ。いい事だと思うな」
「それは分かるけど、いつまでも子供扱いされるのは嫌なの」

精一杯背伸びをして少しでも大人に近づこうとする少女の姿は、傍目から見ればとても微笑ましいものだ。しかしそれが親を失った寂しさや不安から目を逸らすためのものだと言う事を少年は知っていた。
少年も母を失ったが、父はまだ側にいてくれている。失った当初は少女のように大人になろうと聞き分けの良い子を演じていたが、最近になり父と話す機会が増えた事で少しずつ父に寄りかかる事が出来るようになっていた。
だが少女は違う。彼女は今家の中で一人きりだ。時折現れる妖が、事ある毎に少女の世話を焼こうとしてはいるが、彼は結局は妖であり、人ではない。況してや少女にとって、親は母だけだ。妖も見た事のない父も、絶対的な信を置く存在にはなれはしない。


「どうしたの?」

黙り込んだ少年を、少女は少し不安な面持ちで見る。
それになんでもない、と首を振って、少年は話題を切り替えるために笑って口を開いた。

「桔梗《ききょう》はとっても器用だし何でも出来るから、俺も見習いたいなって思って」
「そんな事ないよ。出来ない事なんてたくさんあるし、樹《たつき》みたいに何でも知っているわけじゃないし」
「桔梗の育てたりんごはおいしかったし、編み物だって魔法みたいだ。十分すごいよ…りんごは無理でも、編み物なら俺にも出来るかな」

小さく呟いた思いつきに、少女はか細い声で教えようか、と答える。

「いいの?」
「いい、よ。でも、もうこれ以上、何も言わないで…今、すごく恥ずかしいし、変な感じなの」

同じ年頃の友人に純粋に褒められる経験がないせいだろう。少女の頬は先ほどよりもさらに赤みを増し、まるで彼女の育てた林檎のよう。忙しなく彷徨う視線に、少年は自分の言った言葉を思い返し、目の前の少女を見て、同じように頬を朱に染めた。

「あ、えと。その…ごめん」
「別に。私こそ……編み物、教えるんだよね。じゃあ、棒針、取ってくる」
「急がなくていい、よ。そのセーターが編み終わってからで大丈夫だから」

ぎこちないやり取りの後、互いに沈黙する。
気まずいような、こそばゆいような、何とも言えない空気に何か言わなければ、とどちらからともなく口を開き。


「邪魔するぞ、愛い子」

だが二人が声を上げるよりも速く。戸を開けた妖に、二人揃って脱力した。

「おや、本当にお邪魔だったかな」
「馬鹿っ!本当に馬鹿。出てけ!」

状況が飲み込めず首を傾げる妖は、だが悪い空気ではない事ににんまりと笑みを浮かべる。悪態を吐く少女を気に留めず部屋に入り込むと、二人の頭を無遠慮に撫で回した。

「うわっ」
「ちょっ、何するの!」
「仲が良くて何よりだ。どれ、儂も混ぜてはくれないか」

上機嫌な妖の言葉に少年は困惑し、少女は嫌そうに顔を顰める。頭を撫でる手を払いのけ、帰れ、と妖の背を押し部屋から追い出そうとする少女を少年は宥めながら、どことなく微笑ましげな彼女達のやり取りに苦笑した。

「編み物をしている所を勝手に見ていただけなので、混ぜるも何もないですけど」
「私がいいって言ったんだからいいの。それにこのセーターを編み終わったら、樹に編み物を教える約束をしてるんだから、さっさと帰って」
「つれないなぁ。儂がいても構わぬだろう」
「構うから!いちいち口を出してきてうるさいの!」

まるで思春期の娘と過保護な父親のようだ。少女が聞けば全力で否定するであろう事を考える。
きっとこれからも、少女の態度は変わらないのだろう。少年とその父のような関係には、少女と妖はなる事はない。
だが少なくとも、少女の表情はとても生き生きしているように少年には見えた。その関係は決して悪いものではないと知り、少年は自分の事のように嬉しくなる。

「俺は気にしないから。一緒でもいいよ」
「ちょっと何言ってるの!」
「そうかそうか。坊主はやはり優しい子だな。坊主もこう言っている事であるし、一緒にいさせてもらおうか」

笑いながら許可を出せば少女は驚いたように少年を窘め、妖は笑いさらに少年の頭を強く撫でる。
その強さに揺れる視界の片隅に、編み途中のセーターが見えて。
それは一体誰のセーターなのか。その送る相手を想像して、少年はまた小さく笑った。



20241125 『セーター』

11/25/2024, 2:00:25 PM