『パラレルワールド』
ぼくはなぜここにいるのだろうか。
なぜ、こんなところに立っているのだろうか。
大都会の――それも一等高級なアパレルショップやアクセサリーショップ、飲食店が立ち並ぶこの区間の、それそれは大きなショッピングビルの目の前に。通り行く誰もがぼくを避けて、あのガラスドアを押して入っていく。
無論、ここに佇む理由を忘れたわけではない。
ぼくはあのドアを引いたから、ここにいる。そう、このビルにあるレストランにいたのだ。……つい五分ほど前まで。二人で。
『ごめんなさい』
今日は交際して1年。記念日だった。結婚を前提に付き合っていた……はずだった。なのに勇気を振り絞って告げた言葉の返事はそれだった。
どうして。
なんで。
そんな疑問より何よりも彼女の気持ちに気づかず、一人成功すると確信を持って疑わなかった己を真っ先に恥じた。同時に、庶民には背伸びしても届かない身の丈に合わないこのようなレストランを予約したカッコつけしいロマンチストぶりに頭が痛くなったし、スタッフの方々の動揺や不安を肌で強く感じ居た堪れなかった。思わず引かれてもいない椅子から立ち上がり、その場から逃げた。
『そういうところよ』
呆れたような、ため息混じりの彼女の言葉がぼくの背中に叩きつけられる。
そこからはどう降りてきたのかも分からない。ただただ、脳が痺れたようになり、何も受け付けなくなってしまった。
はたと気付いたときにはここにいて、――今になっていた。
「はぁぁ……」
深いため息をついて下を向けば、見慣れない革靴と馴染みのないスーツの裾が目に入る。この形に行き着くまでのいろいろな出来事と、それらが報われることのない遣る瀬ない想いが渦巻いて、見ていられず天を仰いだ。
――どこで間違えたんだろうなぁ。
あの場で立ち上がらずに食い下がればよかったのか。
それとも『ごめんなさい』の言葉を聞いたときに尋ねればよかったのか。
いや、今日ではなく先日のことかも知れない。もっと前かも知れない。
彼女のファッションをもっと褒めればよかったのだろうか。
彼女が精一杯作ってくれた料理を褒めればよかったのだろうか。
――どうして、拒まれたのか。自分は頑張ったのに。
ニートからバイト生活をして、正社員になったのに。
彼女の隣にいてもいいように小綺麗になったのに。
彼女に見合うようにブランド物を身に着けたのに。
彼女に似合うネックレスをあげたのに。
『きみの絵、好きだな』
アトリエに一人籠もって絵の具だらけのぼくにそう言ってくれたキミには、どうやったら会えるんだろうか。
2025/09/25――創作
9/25/2025, 1:23:18 PM