初音くろ

Open App

今日のテーマ
《視線の先には》




それに気づいたのは偶然だった。

いつも、誰に対しても無愛想な友人が、珍しく柔らかな表情を浮かべていた。
喩えるならば、愛しさだとか、慈しみだとか、そんな表現が似合う顔。
こいつにそんな情緒があったのかと、失礼なことを思ったのは内緒である。

オレは驚きのあまり、ポカンと阿呆のように口を開けてその顔を凝視してしまった。
こちらの視線に気づいた友人は、すぐに見慣れた無愛想な顔に戻ってしまった。
一瞬前まで見せていた表情が、まるで幻か何かのように消え失せる。
そのことを勿体なく思いながら、密かに奴が見ていた方向へ視線を向けてみる。
あんなに蕩けるような顔をしてたくらいだから、好きな子でも見てたのかと思ったのに、特にそれらしい姿は見当たらなかった。


それから数日後、オレは再び友人のその顔を見る機会に恵まれた。
今度は少し距離があり、オレの存在には気づかれていない。
今度こそ、あいつの視線の先に誰がいるのか確かめようと目を向ける。
そこにいたのは、なんとオレの妹だった。

え? なに? あいつまさかオレの妹が好きなの?
あのじゃじゃ馬を?
兄を兄とも思わずに顎で扱き使うような、あの妹を?

信じられない思いで、視線を行ったり来たりさせてしまう。
いや、中身を知ってるから意外に思うだけで、身内の贔屓目を除いても妹はそれなりに可愛い部類には入ると思う。
性格に難があるように思えるのは、身内だからこその甘えによるもので、他人に対しては礼儀正しく愛想もいい。
あいつは友人として非常にいい奴で、そんな相手にアレを押しつけるのは申し訳ない気もするけど、本人がそれを望むなら協力するのも吝かではない。

そんなことをつらつら考えていたら、あいつの視線に気づいたのか、妹がふとそちらを向いた。
たぶん、目が合ったんだと思う。
妹は、これもまた意外なことに、オレには決して見せないような、照れくさそうな、恥ずかしそうな、でもとても嬉しそうな顔であいつに会釈する。

え、ちょっと待って。
何だよ、あの顔!?
あいつ、あんな顔もできるの!?
いつものあの生意気な妹はどこ行った!?

ぎょっとするオレを置いてけぼりに、友人と妹はすっかり2人きりの世界にどっぷり浸かっている。
周囲なんてきっと目にも入っていないに違いない。
妹がパタパタとあいつに駆け寄ってきて、何か話しかけている。
それに対し、あいつは蕩けるように笑顔で妹の頭をそっと撫でた。

ああ、これは、オレが知らなかっただけで、もうすっかりできあがってるやつだ。
一体いつからつきあい始めたのか、これっぽっちも気づいてなかった。
反対されるとでも思って言い出せずにいるのか、それとも別の理由があって隠してるのか。
どちらにしても水くさいことこの上ない。

妹はともかく、友人に対しては何となく疎外感めいたものを感じるが、だからといって反対も邪魔もするつもりはない。
せいぜい、友人とは女の趣味は合わないなと思うものの、妹に関してはなかなか見る目があるじゃないかと思う程度だ。
何にせよ、友の立場からも兄の立場からも、2人の仲が順調に続いてくれることを祈るばかりである。
いつか話してくれるのを気長に待つかと思いながら、オレは2人に気づかれない内にそっとその場を後にしたのだった。





7/19/2023, 10:39:58 AM