あにの川流れ

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 照り返しが強いとその空間は白く光った。幼子の足の甲には波紋の陰が踊り、遠くではさざ波打つ音がしている。
 パチャ、パチャ。
 飛び回る足に驚いて退けてゆく鱗が、静かになったときにはうろうろと潜っては離れて。さらさら波に揺られながらピカン、ピカン、と気まぐれに所在を放った。

 「タモでも持ってくればよかった!」

 半袖から伸びる細い腕の先が水面を荒らした。
 そんなとろくさい動作でいきものを捕まえられるわけもなく、幼子の鈍い編みには何もかからない。だが、気にすることもないらしい。
 それが目的ではなさそうだから。
 パチャン、と跳ねた透明な水が頬にかかる。小さな粘膜がそれを舐め取れば、味蕾は塩味だと言う。

 自然がこすれる音。
 ざわざわ音を立てて幼子の耳を横切った。生温かい風は七日目の蝉の声を運んでいるらしいが、やはり、幼子は気にすることはない。足を攫う波に夢中になりながら、掌でこめかみの汗を拭った。

 ひとつ、くしゃみ。
 ガシャンッ――――‼ 割れ物の音。

 「?」
 「迷い子か?」

 声が見下ろしていた。
 白地の反物に、衿を跨ぐ青い魚。その優雅さとは対照的に帯には深緑の嵐が刺繍されていた。顔を隠す紙には『声』と記されていて、ビューッと吹く冷たい風に何度もビラビラと捲れかける。

 「そのかさ、五百円の?」
 「さあ、忘れてしまった」
 「雨ふるの?」
 「いいや、落ちる」
 「おちる?」

 ガシャンッ――――‼ 割れ物の音がその傘を打った。同時にけたたましいほど、風鈴の音が幼子の鼓膜を覆った。ガラスがガラガラと粉砕しているらしく、心地良い音などではない。
 ビクッと肩を跳ねた幼子が白地の反物にしがみつきながら、傘越しに見上げる。

 無数の風鈴。
 それが壊れ破片が傘で打っている。足を攫う水がどうしてか、体温を奪いに来ていた。あまりのことに呆気に取られていれば、声は申し訳なさそうに傘を傾ける。

 「ようやく代替わりだ」
 「さぶいの?」
 「そろそろ」
 「きんぎょじゃない…!」

 寒々しいもみじが反物を染め上げ、肩には葡萄色のショールが色を足していた。あたたかげな装いに幼子のこころが一気に切なさを覚える。
 いつの間にか風は冷えていたし、あの眩しいほどの照り返しは終わっていた。

 「銀杏に洋酒は合うだろうか」
 「ぎんなん、くさいから好きくない」
 「どれ、焼き芋屋でも見つけてやろう」
 「…うん」

 水から上がったときに磯の香りは弱かった。



#秋風



11/15/2023, 9:55:08 AM