炉夏

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おたま、よし。器、よし。
…ビール、よし。


我が家の大晦日の夜は、すき焼きと大昔から決まっている。


一人暮らしをして初めて迎える年末。
仕事の都合でどうやら帰省は年明けになりそうだったので、今日は正真正銘、初めてのおひとりさま年越しだった。

一人分の夕食なんて簡単に済ませることも出来たけれど、やはりこれを食べぬことには一年が締まらない、と一念発起し、動物の名前が付いたクリスマスカラーのカップ麺や「手打ちあり升」と書かれた蕎麦屋ののぼりを総スルーして、人形町にあるちょっとお高い、いやかなりお高級なお牛肉様を買いに行った。

「息子が嫁と孫連れて帰ってくるのよ」と、オホホな微笑みを浮かべたご婦人方が列を成す店内で、明らかにおひとり様の量だけ買うのが居たたまれずに、見栄を張って400gのお肉様を注文した。

…高かった。
今日はこれを一人で全部喰う。


炬燵の中心に据えられたカセットコンロの上で、鍋がグツグツ煮えている。そっと木蓋を外すと、もわあっと湯気が立ち上ぼり、割り下の煮詰まるいい匂いがした。

私は缶ビールを開けて、さっきまで冷蔵庫で冷やしておいたグラスに注ぐ。シュシュシュポーっと音を立てて、黄金色の液体が満ちていく。

さてと。
「いただきます」

私は荘重な儀式のように手を合わせ、ビールを一口飲む。それから爆発物処理班のような慎重さでもって鍋のお肉様を持ち上げると、そっと口に含んだ。

ジュワ~っと音が聞こえるかと思うくらいの肉の旨味が口いっぱいに広がり、あっという間にとろけていなくなる。

あまりに美味しくて、それからしばらくは無言で食べ続けた。見栄を張って沢山買っておいてよかった。

点けっぱなしのテレビは、いつの間にかニュースから紅白歌合戦に変わっており、世の中が本格的に一年の店仕舞いを始めたんだなあ、とほろ酔い気分でぼんやりと思った。

半分ほど食べ終えた鍋を眺めながら、ふと、何かが足りない、と思う。実家の母にレシピを訊いて、我ながらかなり忠実かつ美味しく作れたと思うのだけれど(最優秀主演女優賞はもちろんお牛肉だが)、昔食べたのはもっとこう……

「あ!」

私はいそいそと立ち上がり台所へと向かう。
冷蔵庫を開けると、ポケットから卵を取り出した。

お肉様の威光が眩すぎてすっかり忘れていた。
すき焼きには卵。これも大昔から決まっている。

炬燵の角で叩いて、器に割りほぐす。
火が通り過ぎてクタっとしてきた春菊とともに肉を卵に浸して一口。

「ん~まっ」

これこれ。黄身と一緒に食べないと。

既に二人前近いすき焼きがお腹の中で膨れていたが、それでも夢中で箸を進める。

紅白そっちのけで鍋と格闘していると、大学時代の友人からLINEが届いた。

〈おつー、今日も仕事ー?〉
〈いや、家で一人すき焼きしてる〉
〈マジ?〉
〈まじ〉

間髪置かずにゆるい顔のカワウソがぎゃはははと笑うスタンプが届く。私はムッと拗ねた表情の黄色いくまのスタンプを送り返した。

グラスの底に残った最後のビールをちびりと飲む。

なんとなく鍋の写真を撮って、家族のグループLINEに送ってみた。

またピロンっと通知が浮かんで、

〈てか一人なら呼んでよー〉

と、細い目をつり上げてプンプンしているカワウソのスタンプと共に届く。怒っているのに愛嬌のあるその表情に、スマホの前で同じ顔をしている友人の姿を想像してしまって思わず吹き出す。

〈来年は─

来年は。返事を打ちながら、早くも一年後の年の瀬に思いを馳せる。来年の大晦日はどこで誰と、どんな夜を過ごしているだろう。

大晦日の夜はすき焼きと、大昔から決まっている。
一人でもいいけれど、独りじゃないともっといい。

誰かと食べるすき焼きは、高級なお肉じゃなくたって、きっととても美味しいから。


─君と一緒に─

1/7/2023, 11:08:48 AM