弥梓

Open App

『一年前』

※BL二次創作

「去年の麦は出来がいまいちだったけど、今年は質も良さそうだし、豊作になりそうで良かったわ」
「ああ、今年の収穫祭が楽しみだ」
通りすがりに、農家の夫婦の会話が聞こえた。
 大麦の畑はたしかに黄金に輝き、素人目で見ても順当な育ち具合だ。
「去年……か」
「どうした?」
 口に出すつもりはなかったのに、つい君が隣にいるせいで気が緩んで言ってしまった。
 案の定聞き逃さなかった君は怪訝そうに僕の方を見た。
「ああ、いや。去年の今頃はどこにいたかな、と思ってね」
 全部嘘ではない。君が前に言った通り、嘘に真実を混ぜてその言葉に信憑性を持たせる。君以外の誰かならきっと騙されてくれた。それくらい自然に嘘がつけた。
「下手な嘘ついてんじゃねえよ」
 けれど、僕の体のことを知っている君は簡単に僕の嘘を見破ってしまう。
「自分に去年はなかった、とでも考えてんだろ」
「分かってて聞くのは意地が悪いんじゃないか?」
「テメェがつまんねえ嘘つかなきゃいいだけの話だ」
「楽しい話でもないから、聞かされたって君も困るだろう」
「適当な嘘つかれる方がムカつくんだよ。それにテメェのつまんねぇ話聞かされたって別にオレは困らねえ。だから、オレには本音を言え」
「……僕の記憶にある『去年』は僕のものじゃないし、『来年』も僕にきっとない。だから、今日が『一年前』になることは絶対ないんだな、って考えただけだよ」
 倒れて熱を出してから、心臓が何度も痛む。そして気がついてしまった。自分が作られた偽物の人間であることに。偽物の体はそう長くはもたないことに。
 気がついた時も今みたいに、何かあるならさっさと話せと君に尋問された。正直、あの時君に話したことを少し後悔している。
「ほら、聞かされたって困るだろ?」
 おどけて笑ってみせたら、思いきり睨みつけられて、抱きしめられた。痛いほどの力で抱きしめられて息がつまる。涙が滲むのはそのせいだ。
 一人で抱えていたら最期まで耐えられた。でも、君に知られてしまった。君に甘えることを知ってしまった。
 人の優しさは、時にこんなにも人間を脆くすることを身をもって知った。
「……困らねえって言ってんだろ」
 絞り出して掠れたきみの声はあまりに悲痛で、それにつられて僕の目尻から涙が溢れた。
「ごめん……本当にごめん。僕は、君を残していく……ごめん」
 幼い頃に大切な人を失って、それでも悲しいと泣けなかった君が、最近やっと心から笑うようになったのに。僕はまた君の心に大きな傷を作ってしまう。
「それでも、きみが好きなんだ。許してくれとは言わない。でも忘れてくれとも言いたくない。君に幸せになって欲しいのに、僕のために泣いて欲しい。ずっと僕のことだけ思って生きて欲しい」
 想いを言葉にすると、その身勝手さに自分が恐ろしくなる。
 会って数ヶ月にしかならない君に、こんな呪いをかけて、その一生を縛ろうとするなんて。
「君のそばにいたい」
 僕を抱きしめる腕にさらに力がこもる。
 来年もその月の年も、その先もずっと、去年はこんなことがあったなと、君と思い出を積み重ねて生きたかった。
 そんなささやかな願いすら、僕の不完全な体では叶わない。
 死ぬことよりも、きみの隣にいられなくなることがたまらなくつらかった。

5/8/2026, 5:43:47 PM