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夏の日差し。それに呼応するような蝉の声。暑くて、鬱陶しくて仕方ないけれど、夏を感じさせるそれは嫌いにはなりきれなかった。

扇風機やエアコンの電源を入れようとする。が、彼らは沈黙を貫いて動こうとしなかった。

「……マジか」

ため息をついて、長年放っておいた団扇をとって仰ぎ始める。涼しさは微弱なものだが、ないよりはマシだった。

「……」

二回目のため息。今年の夏を振り返れば、どこにも行ってない―――というより、行こうとしていなかった。買い物に行きにスーパーに行くか、それとも家か……たまに行く図書館くらいなものだった。

もし、まだ君がいたのなら、どこかに行っていたのだろうか、と夢想する。よくテレビに指をさしてここに行きたい、と言っていた君がいたら……この退屈未満の夏は何か変わったのだろうか。

一度考えたことは終わるところを知らずにグルグルと頭の中を支配する。いつかに目を逸らせた筈の過去が蘇っていく。

『――くん』

彼女の笑顔が昨日のように頭に描かれる。とっくに忘れたっていいのに、いつまでも彼女は頭の中にいる。

「……クソ」

ほんの少し出た涙を拭って、廊下に出てしばらく入ってなかった彼女の部屋の扉を開く。部屋の中は埃っぽい。

けれど、けれどもう、前に進まければ。この退屈で怠惰な日々から脚を前に進めて歩かなければいけない。

どこから片付けようか。こういうのにはいまいち慣れていない。

迷って迷いながら、手をつけようとしたところで、僕の手は止まった。

「―――あれ、何してるの? 」

「いや、こっちの……セリフだけれど」

勘違いかな、と思いつつも人の気配を感じたから振り返れば、白いワンピースを着た彼女がいた。……何故?

「片付け? 」

「うん」

「でも私帰って来ちゃったし」

「……そうだね」

恐怖だったり、困惑だったり、変な嬉しさだったり、色んな感情が混ざりに混ざる。けれど、最終的には嬉しさの色が残った。いや、怖がるべきなんだろうけれど。

「おかえり」

「ただいま」

おかしな現象だと思う。目の前に見える彼女が幻です、と言われても特別違和感は抱けないと思う。この世界は魔法や魔術が存在するようなファンタジー世界でもないのだから、死人が蘇ることなんて早々ない。

けれど、それでも彼女が再び自分の前にいることが嬉しくて、モノクロだった世界に再び色がつけられて。

「……っ」

彼女を抱きしめる。幽霊のようにすり抜けることがなくて、少し安心する。

「おおっと……」

彼女の正体がなんだっていい。けれど、けれど今は……ただ傍にいて欲しい。できる事のなら、彼女が許してくれるのなら、ずっと。

8/30/2023, 3:16:34 AM