「感覚的に、暖色系の光はやわらかい気がするし、季節としては春だと思うんよ」
なんか寒色系は硬い柔らかい関係無さそうだし、夏とか「やわらかい」どころじゃねぇ日差しだし。
某所在住物書きは、カーテンによって陽光の遮断された室内でひとり、スマホの通知画面を眺めていた。
「やわらかい光」だそうである。秋の朝は放射冷却で、やわらかいというより「寒い光」だろう。
初春の、日光反射して輝くフクジュソウは、その光沢は、やわらかい光だろうか。
あるいは暖炉型ファンヒーターの、フェイクながら揺らめく炎のイメージは?
「そういや最近、焚き火っつー焚き火、見ねぇな」
なんか焼き芋食いたくなってきた。物語ネタの連想ゲームが食欲の秋と結合して、物書きは炭火と紙袋と甘い香りを思い浮かべ、己の財布の残高を確認した。
――――――
最近最近の都内某所、某アパートの一室。
カーテンの、丁度閉め切っていなかった数センチが、室内への陽光侵入を手引きして、ベッドで寝息をたてる部屋の主の網膜にイタズラする。
まだ眠っていられる筈だったものを。更にダメ押ししたのは香水の小瓶ひとつ。
枕近くの棚の上で、朝日を反射し、やわらかな光を、
……「香水の小瓶が朝日を反射」?
「いけない」
部屋の主、藤森は毛布を跳ね上げ、飛び起きた。
香水はたしか、直射日光が苦手だ。それの当たらぬ、温度の平坦な場所に移さなければ。
「せっかく貰った物なのに」
藤森は小瓶を優しく持ち、より適切であろう置き場所を探して、
ふと、じっと、再度それを見た。
先々月、8月31日に、職場の後輩から贈られた、リラックス効果のある香水である。
メインに据えられているのはヒノキ科アスナロ属、日本固有種「ヒバ」、すなわちアスナロの優しさ。
2種類程度のスッキリしたフローラルかシトラスが、木の香りに花を添えている。
雪降る田舎出身の藤森にとって、アスナロは懐かしい故郷の公園、森林と遊歩道、すなわち思い出の象徴。
しゅっ、しゅっ。
手の甲に吹き付けた少量は、藤森を昔々に誘った。
東京に来て最初の数年、田舎と都会の違いに揉まれ、擦れて、酷い疲弊を味わった藤森。地下鉄すら乗るのが不慣れであった。
東京で出会った親友の宇曽野に付き添ってもらい、ぷるぷる不安のバンビで乗り方と降り方を教わったのは良い思い出。
藤森の田舎者を見抜き、地下鉄車内で財布をスった野郎は、即座に宇曽野にバレて警察に引き渡された彼は、窃盗発覚と逃走と確保の過程で宇曽野にボッコボコにされていたが、その後、どうしているだろう。
恋をして、その恋人が過度な解釈押し付け厨で、SNSでボロクソにディスられ傷ついて。
スマホも職場も住所も全部変え、このアパートで新しく、「藤森」のスタートをきった。
ヨリを戻そうと追ってきた元恋人。その強い執着に悩まされ、心の古傷が開いて痛む藤森に、「花とか草とかの香りがあれば、落ち着けるかな」と、新しい職場の後輩が8月31日、贈ったのがこの香水であった。
そういえば貰った香水の礼をまだしていない。
「これに、……『これ』に見合う、礼……?」
キラリ、キラリ。
香水の小瓶を傾けて、眺めて。藤森の目は長考に険しく細められ、額にシワが寄る。
「何だろう。何が相応しい?」
小瓶は勿論、何も答えない。
ただ秋の朝日を反射して、やわらかな光を放つばかりである。
10/17/2023, 3:43:05 AM