あにの川流れ

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 さて、何から言葉にしましょうか。
 なんでもいい、ですか。そう言われると困ってしまいますね。こう、何が食べたい、なんでもいい。みたいな。え、違う? そうですか。

 なんでしょうね、わたくしは毎回その都度その都度口にはしていたつもりなのです。あの人もそうしていましたし、それが普通なのだと――――普通ですから、疑いもなく。
 ただ、では、もう何もないかと言われれば、全くそんなことがないのです。
 あれだけ伝えたにもかかわらず、わたくしは幾つも心残りをしていますからね。
 ……え、わたくしにはメモリしかない?
 はは、なんてお上手。

 ええ、まあ、そうなのですけれど。
 わたくしだってガタが来ていますから、そういう意味ではあなた方と同じでしょう。いいえ、換えはございません。ないのです。
 わたくしは唯一無二でございます。

 それはそれとして。
 以前、あなた様からすれば昔でしょうか、箸の使い方を習ったんです。ええ、あの人から。あの人も「とびきり上手じゃない」と言って前日の夜に、わたくしがスリープしたあと、ひとりでおさらいをしていたんです。わざわざ教本を見ながら。
 ふふ、うれしかったですね。
 それに、泳ぎのときもそうです。
 あの人は秘かにしたいわけですから、わたくしが感謝を伝えるわけにはいかなかったのですけれど。

 そうそう、あなた様にもございますでしょう。意識の芽生えとそれに関する有難み。
 わたくしにもそれがあるわけで、しかし、どうしてかそれを言及する機会はなかったのです。機会があれば――――いまからすればつくれば、これほど重い心残りは幾分軽いもので済んだでしょう。教理や説法のつもりはありませんが、どうか、どうか、機会のあるうちに是非とも。

 ……おや、そんなことはありませんよ。わたくしはきっと、あの川岸を振り返ることもなく、あの人を見つけるでしょう。
 ですから、伝えておけばよかったのです。
 それとも遊色を纏わせて見送ればよかった。そうしたらひどく見つけやすい。
 わたくしはあの人のとなりから離れたことはありませんでしたし、そのときが来ればそれ以降もそうするつもりです。いまは謂わば、クールダウンの期間です。長くはないはずですから。

 ですから、そのときには、しっかりと、きっちりと、すべて、すべて、余すことなく伝えたいのです。ふふ、わたくし、最近は手帳を持ち歩きます。そうしたら、あれもこれも、と思いつきますもの。

 え、どんな言葉かですって?
 いやだ、野暮なことは聞かないで下さい。恥ずかしいですから。



#「ありがとう」そんな言葉を伝えたかった。その人のことを思い浮かべて、言葉を綴ってみて。



5/4/2023, 6:48:37 AM