マズイ、マズイ。
俺はバイクを降りて走り出す。
今朝、出掛ける前に恋人から「今日、早く帰れますか?」と聞かれた。
あまり我がままを言わないタイプの彼女だから、こんな言葉を言うなんて正直驚いたんだ。
「多分、大丈夫だと思うけど、なにかあるの?」
彼女は首を横に振る。
「早く帰ってきてくれたら、嬉しいなって」
眉を八の字にし、小さくそう言う彼女の言葉に胸が高鳴る。
こんな表情の彼女は、〝ちょっと寂しいとき〟だ。
彼女にとっての〝ちょっと寂しいとき〟は普通の人にとって〝めちゃくちゃ寂しいとき〟だと理解してる。
彼女は自分より〝俺〟を優先してしまうから。
だから、こんな小さなお願いを叶えたくなる。
「分かった、早く帰れるようにする。約束ね」
「あ、でも無理しないでくださいね」
そうやって小さい花が咲くように微笑む彼女がどうしようもなく愛おしかったんだ。
そんな俺の朝の予想は裏切られて、こんな日に限って残業になってしまった。
止まるタイミングがあれば一言メッセージを伝えるんだけれど、今は止まるくらいなら早く帰りたい。
俺は全力で家に向かって走る。ポッケから鍵を探すのも忘れない。
玄関の前で止まり、鍵を開けて大きく叫んだ。
「遅くなってごめん、ただいま!!」
奥から大輪の花のような笑顔で彼女が飛び込んでくる。
「ごめんね、約束したのに」
力強く抱きしめてくれるから、俺もしっかり抱きしめ返す。
「おかえりなさい。帰ってきてくれれば、じゅうぶんです」
顔を上げることもなく、そう小さく言うからたまらなくて、もう一度強く抱きしめた。
おわり
五四七、ささやかな約束
11/14/2025, 2:23:00 PM