【My Heart】
治安の最悪な汚れた貧民街で、ドブネズミのように生きていた僕を助けてくれたのは、自らを鬼と名乗る不思議な女性だった。
緩く波打った長い白髪。夕焼け空のような赤い瞳。人目を集める異形めいた容姿を隠すようにローブを深くかぶり、右手に杖をついて片足を引き摺り歩く。そんな彼女こそが、路地の片隅のゴミ溜まりで死にかけていた僕の腕を引き、人間みたいな生活を与えてくれた恩人だった。
彼女が何故、僕を拾ったのか。その答えを僕は知らない。もしかしたら本当は、何か恐ろしい理由があるのかもしれない。彼女は必要最低限しか口を開いてくれないから、確かめることもできなかった。
だけど温かな食事の美味しさも、国家に敷かれた法律の存在も、人間としての正しい倫理観も、今の僕を構築する全ては彼女から教わったものだ。彼女がいなければ、僕はあの日一人きりでのたれ死んでいた。
それでも僕は、彼女に何も返せない。返せるだけのものを、持って生まれてこなかった。だからせめて。
「僕の心臓は、あなたにあげるね」
儀式の生贄にしたって、あなたを迫害した社会への復讐の道具にしたって、何だって良いから。ほんの少しだけ綺麗な世界を見せてくれたお礼に、僕は僕の全部をあなたへと捧げよう。
彼女の手が、そっと僕の頭を撫でた。僕を見下ろすその眼差しが寂しげに見えたのは、いったい何故だったのか。バカな僕には、どうしてもわからなかった。
3/27/2023, 2:07:18 PM