sairo

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友人からもらったクレマチスに水をやりながら、この一年で増えた花たちに視線を向ける。
植物を育てることを苦手としていたが、友人の花はまだ一つも枯れてはいない。それは自分が成長したからではなく、手助けをしてくれる存在が側にいるからなのだろう。
家の中。ソファでくつろぐ、白地に黒の斑点模様の入った猫へと視線を向ける。短い鍵尾を揺らし毛づくろいをしながらも、視線に気づいてこちらを一瞥する。

「――なにか?」
「えっと……何でもない、です」

そっと視線を逸らす。再び毛づくろいをし始める猫を視界の端で捉えながら、何故この猫はここにいるのだろうかとぼんやり考える。
元は友人の庭に住む猫だった。何度か庭を訪れるうち、気づけばこうして自分の家の中に住むようになってしまった。
如雨露を片付けて、室内に戻る。毛づくろいを終えて丸くなって眠る猫は、もうこちらを気にする様子はない。
それは嫌だとは感じなかった。猫と暮らし始め、確かに変化に慣れるのには少し時間が必要だった。けれど慣れてしまえば、嫌だと思うことは多くない。
それに猫と過ごす空間は息苦しさを感じなかった。
人とは違う。だからだろうかと、内心で首を傾げながら猫を見つめていた。

「また、どうでもいいことを考えていますね」
「え?」

呆れたような声。寝てしまったと思っていたが、どうやらまだ起きていたらしい。

「えっと……ごめんなさい?」
「謝罪の意味が理解できません。何故、謝る必要があるのですか」

何故だろうか。それを考えて、誰かに何かを言われた時に、いつも謝っていたことに気づく。
言われたことを理解するまでの間を、人は待ってくれない。聞いているのかと責め立てられることが多くて、段々と何かを言われた時にまず謝ることが癖になっていたようだ。

「癖……かな?」
「改善なさい。ここはあなたの縄張りなのだから、堂々としていればいいのです」
「縄張り……」

確かに、自分の家は縄張りと言えるのかもしれない。室内を見回して、小さく頷いた。

「それで、今度は何を考えていたのですか」

問われて、どう言えばいいかと考える。
その間、猫は答えを急かしたりしない。だから考えが逸れることなく、しっかりと言葉を返すことができる。

「一緒に過ごしていても、息苦しくならないのは何故なんだろうって考えてた。人ではないからかな、とか思ったりしたけど、それが正解かは分からなかった」

猫ならば分かるだろうか。
自分のことを自分でも分からないというのに、猫に分かるはずがない。そう思いながら、けれど猫ならば知っているかもしれないとも感じている。

「どうしてか、分かる?」

問いかければ猫は鍵尾を揺らして、ふんと鼻を鳴らした。

「簡単なことです。あなたの中に流れる時間が、猫に似ているからそう感じるのでしょう」
「猫の、時間?」

首を傾げて問えば、猫は大きく伸びをして起き上がった。

「そうです。一年、あなたを見てきて感じました。様々なことに興味を引かれ、気になることを考える。時にじっとしていることに苦痛を感じ、けれど別の時にはぼんやりと過ごすことを好んでいる……それは猫の時間です」

猫の時間。
心の中で繰り返す。なんとなくしっくりくる気がした。

「普通の人間と比べると、劣っているように見えるのかもしれません。様々に興味を引かれるからこそ、忘れるものも多い。今すべきこと、話すべきことから逸脱すれば、不興を買うこともある……人間は群れて忙しく動く生き物ですから、猫のように自由にとはいかず、結果それを劣っていると判断されることも多いのでしょう」
「――そっか」

何となく、今までの生きにくさが理解できたような気がした。
ふらふらとソファに近づき、猫の隣に座る。途端に膝の上に乗り喉を鳴らす猫に苦笑を漏らしながら、そっとその頭を撫でた。

「そっか」
「そうです。猫が人間の世界で生きるというのはとても大変なことなのです。なのでもっと自信を持ちなさい。そしてあなたの縄張りの中では、好きなだけ猫のように生きればいいのです」

自信を持つ。そんなこと考えたこともない。
今までは誰かの真似をして生きてきた。その方が自分で考えて行動するより、ずっと早くて簡単で、楽だった。けれどそれが原因で、怒られることもまた多かった。
猫の背を撫でながら、できるだろうかと少しだけ不安になる。でも猫が言うのだからと大丈夫だと、思ったよりも素直に受け入れられている。

「あなたは花を育てることは難しいのだと言った。ですが一年、花が散っても枯れることなく、また花を咲かせることができた」
「でもそれは、どうすればいいのか教えてくれたからだ」
「教えただけです。水の与え方。剪定の仕方。肥料の与え方や温度管理の方法……それを全て行ったのは、あなたなのです」

視線を外に向ける。青いクレマチスの花が、風に吹かれてゆらゆらと揺れている。
冬の間、白の花を咲かせていたクリスマスローズ。蕾をつけ始めたルドベキアやアネモネ。サルビアやキキョウもとても元気そうだ。

「来年も、花が咲くかな?」
「あなたが諦めない限りは、一年後も、十年後も咲くでしょうね」
「――来年も、一緒にいてくれる?」

ぽつりと呟けば、猫は顔を上げてこちらを見た。どこか呆れたように目を細め、鍵尾を揺らす。

「あなたが手放さない限りは……逆に、増えるかもしれません」

とても嫌そうだ。けれど増えたのなら、友人の庭のように賑やかになるだろうか。
たくさんの猫で賑わう友人の庭を思い出すと、自然と笑みが浮かぶ。きっと楽しくなるのだろう。
けれど、するりと膝から下りて窓際へと移動してしまった猫を見た。
自分には賑やかな毎日よりも、一人と一匹のゆっくりとした空間の方があっている。
そんなことを思いながら、いつものようにおやつにしようと猫を呼んだ。




20260513 『一年後』

5/14/2026, 6:23:30 PM