やりたいこと
「ねえ、あなたのやりたいことはなあに?」
突然彼女にそう聞かれた。そんなことを僕に聞いてもしょうがないのに。
「……」
僕は言葉を発さなかった。いや、発せなかった。僕の声はとうに機能を休止している。僕自身は二度と自分が声を出せるときなんてものは来ないと思っているが、それを彼女に言ったらすごく悲しそうな顔をされたので『休止』と表現している。
それにしても、どうして彼女は僕に話を振るのだろうか。僕は声が出せないのに。それに僕は声が出ようが出まいが彼女の話を聞いているのが好きなのに。
「うーん、やっぱり話してくれないかぁ。え、意識はあるよね?」
何を言っているのだか、在るに決まっているだろうに。僕が自分の足であなたの場所まで来て、ここに座ってあなたの話を聞いているのは紛れもないぼくだというのに。
僕は浅くうなずく。
「あ、よかった生きてた。まあ、君が話せないのだから私が喋ろうではないか!」
最初からそのつもりだったろう白々しい。
「やっぱさ、私はもうすぐ高校三年生じゃんか。そろそろ進路本格的にしなきゃじゃん? だから結構調べたんだよね〜。でさ、やっぱ女子のあこがれといえばさ……」
ウエディングプランナーとかか? この人以外とセンスあるからな。意外と考えてんだなこの人。
「お嫁さんとか!?」
前言撤回、ただのアホだ。何が『結構調べた』だよ。お嫁さんって、いや別にお嫁さんはいいんだけど進路お嫁さんって馬鹿か。この人の将来が今から心配でしょうがない。
「ちょっと、何よその顔! あ! わかった、さては私のことバカにしてるね!」
どうやら顔にでていたらしい。まあ馬鹿にしていたのも呆れ顔をしていたのも事実である。
「なによもう、いいじゃない別に……。あ!」
彼女はいじけたまま壁にかけてある時計を見ると、今までむすくれていたことを忘れて焦りだした。
「もう塾の時間過ぎてる、行かないと! じゃあね、また明日!」
そう言って彼女は出口のドアを開ける。……いや、ココに来る暇があるなら勉強してくれ。
そのまま彼女が出ていくのを見守ろうとしたとき、
「あ、もし私が結婚できなかったら君が私をもらってよね!」
……は? ま、まぁ冗談だろ。うん、そうだそうに違いない。彼女にはそういうところが多々あるからな、うんそういうことにしよう。どうせ彼女も次来るときには今のことなんて忘れているに違いない。
そう思って僕はあの人の言葉を僕の中で完結させた。
でも帰り際に言われて混乱していたものだから、僕は彼女の服の隙間から見えた傷について言及するのを忘れてしまっていたんだ。
そこからしばらく、彼女がココに来ることはなかった。
声が、聞こえてくる。
「あんたって本当になんで生きてるの? 勉強もできなければ運動もできやしない。本当に我が家の穀潰しね。顔もあの女に似ていやらしい顔。ああ本当に嫌だわ、早くどこかに行ってくれないかしら」
うるさい。
「本当に何もできないのねあなた。はぁ、頼んだ私が馬鹿だったわ」
ごめんなさい。
「本当につまらないよね。ねえみんな、あっち行って遊ぼう! あんたはもうこっちこないでよ」
ごめんね。
「ねえ、あの子1組の早瀬くんに仕掛けてるらしいよ」
「え、ヤバすぎ。確か早瀬くんって彼女いたよね。うわ最悪。いくら顔がいいからってさ、人の男誘惑すんなよ」
そんなことしてないのに。
「ねえ、なんであんたなんかだ生きてるの? 本当に邪魔なんだけど。能無しの無能の役立たずがさ、ほんとに生きてる価値なんてお前にあるの」
うるさい。やめてよ。
「ほんとに、あの子とは大違いだよね」
うるさい、あいつと比べるな。
「アハハハ、ほんとにあんたなんて」「あなたなんて」「お前なんて」
「さっさといなくなればいいのに」
ねえ、私がなにかした?
「……あの子だけは私を否定しなかったのよね」
何も言わずに私だけを見るあの瞳、何も映していないように見えるあの瞳の中に確実に私は居た。
「ちょっと明るくしてみせただけなのに、すぐに騙されちゃうんだから」
どこにいっても聞こえるうっとおしい声を聞きたくなくて、なんとなく入った教室にあの子は居た。部外者をうっとおしがるあの顰めた顔を今でも覚えている。
でも、それよりも鮮明に覚えているのは瞳だ。光すら映さない真っ黒な瞳。とても美しいと思った、それと同時にそれを壊してしまいたいとも思った。
だから明るくてちょっと間抜けな、でもどこか惹かれる女の子を演じた。あの子みたいに、あの子がみんなに好かれているから。だから私はあの子を演じた。
「最後まで、私は独りか」
空は曇天だ。こんな時も空は私を照らしてはくれない。何もかもが私の味方をしてくれはしない。
「……来て、くれないかなぁ」
ボソリと、口から漏れた私の本音。久しぶりだった、自分の言葉を口に出すのは。もうずっとやめてしまっていたことだから。言っても無駄だったから。
「ま、来るわけ無いか。……そろそろいこうかな」
ガチャッ
その時、不意に心臓が跳ね上がった。少しの不安と大きな期待。振り返りたいけれど、振り返りたくない。けれど振り返らなかれば物語は続開しない。
私は振り返った。あの子と接するときの女の子の顔で。いやしいあの女ではなく、あの可愛らしい女の子の顔で。
「……」
無言の君は初めて出会ったときと同じ、顰めた顔でこちらを見ていた。あのときと違っている点が在るのならば、その瞳に私が映っていて、その顰め面がうっとうしさからくるものではないことだろう。
「久しぶりだね。……元気だった?」
「……」
いつもどおり、一言も喋らない。
「なんでこんなとこ居るのかが気になる? 一人で屋上のフェンスの向こう側にいるんだよ? 察してよ」
更に顔を顰めた。
段々と風が激しくなってきた。大きな音を出して吹く風は私とあの子の間に吹いている。
「相変わらず、君は何も言わないんだね」
そんな、泣きそうな顔で見ないでよ。
ああ、そうか
「わたしのせいか」
ふふ、本当にバカみたい。自分であの子をそういうふうにしたのにね。
「ねえ、やりたいことは見つかった? っていっても、そんな簡単に見つかるわけないか」
あ、涙が落ちた。
「いつか見つかるといいね。やりたいこと」
願わくば君のやりたいことが
「そろそろお別れだね」
私を救うことになったらいいな。
「See you」
……なんてねっ。
6/11/2023, 7:35:02 AM