(言い出せなかった「」)(二次創作)
夏の陽が落ちかけた頃、医院の窓を開けると風が入った。遠くで牛の鳴き声がして、フォードは手にしていたカルテを閉じる。今日もまた、牧場主ナナミは怪我をしてやって来た。手のひらに小さな擦り傷、ついでに草で切った頬まで。
「いつもごめんねー」
ナナミは明るく言っているが、行動を改めるつもりは無さそうだ。フォードの見立てでは、あと少しだけ慎重になってくれれば彼女の怪我はぐんと減るはずなのだ。
「…………」
机の端には、昼にナナミが差し入れてくれたサンドイッチの包み紙が残っている。自分の牧場で採れたトマトと、自慢の鶏が産んだ卵の入ったエッグサンドだ。彼女は人に与えることを当たり前のようにしているが、貰った側はどうしたって心を動かされてしまう。対象はフォードだけではないのに。
視線を窓の外に移すと、道の向こうからナナミが荷車を押して歩いてくるのが見えた。すでに日は傾き、橙色の光が彼女の髪を照らしている。
「またか……」
そばに観光客らしき老婆がいるから、手助けを申し出たのだろう。荷物ははたから見ても重そうで、ナナミの足取りも重い。
足は勝手に動いていた。つかつかと近寄り、声を掛けていた。
「また君は無理をしてるのか」
「先生?やだなぁ、大丈夫だってば。牧場主は力自慢なんだよ?」
結局、ポスティーノまで老婆と荷物を届け、ナナミと二人帰路に就く。ナナミはにこにこしながら歩いており、その横顔から目を離し難い自分がいた。
(好き、なのだろう)
フォードは自嘲する。そもそも患者の一人に過ぎないし、仮に恋愛感情を抱くにしろ彼女は若過ぎる。更に、今まで恋らしい恋をしてこなかった自分が、と呆れる気持ちもある。
「ナナミ、私は君が……」
「どうしたの、せんせ?」
「いや、何でもない」
それでももし素直になれれば、また違ったのかもしれないと思いながら、フォードは言えなかった言葉を一人呑み込んだ。
(ああ、私らしくもない)
9/5/2025, 12:59:20 PM