胸が高鳴る
「———いろんな経験をしたいのです」
皺一つない高そうな服を服を全身に身に纏った少年は、両親にそう口にする。
父と母は顔を見合わせると、僕の幼い手を取ってありとあらゆる知識や経験を与えてくれた。
家は裕福で学びを得る上で困窮することは一度もなかったし、俺が食って寝る生活をしても何不自由なく暮らしていけるだろう。
けれど私にとって「退屈」とは何ものにも代え難い苦痛で、四六時中机にへばりつくのは必然のことだった。
本は分厚ければ分厚いほど嬉しいし、物事は突き当たるほど笑みが溢れる。
そんな僕を変態だなんていう人もいたけれど、毎日同じようなことを繰り返す日々を送る人はなぜ正気を保っていられるのか、不思議で仕方なかったんだ。
全身が凍るように寒い冬の日。
僕は路上の片隅に椅子に腰掛けチェスをする、ヨレヨレの服を着た男性を見つめる。
テーブルの上には硬貨が置かれており、彼等はチェスの駒をせわしなく動かしていた。
「かあさま、あの人は何をしているのですか?」
数秒沈黙したあと、母は小さく答えた。
「あの人達はホームレスと言って住居を持たずに生活するんです」
まだ背が小さなかった僕にはその表情を読み取ることはできなかったが、あの時の母の声は少し震えていたような気がする。
どうやって生きていくのですか?と質問を投げかけると、ホームレスとはなんなのか淡々と話し出した。
正直、その頃の記憶はおぼろげで母の言葉を右から左に聞き流してしまっていたが、あの光景が今でも忘れられない。
3/19/2024, 5:51:48 PM