『question?』
40インチブラウン管式モニターの中心に、醒めるような青をバックにして白い文字が瞬いている。同時に、広いクールルームに不愉快なビープ音が響き渡った。赤ん坊が切実に母親を求めるように、巨大な機械の筐体は止めどなく叫ぶ。
『どうした、V2N312?』
パンチカードと二進法式数列を併用して呼びかける。恒星間輸送船用二式複合管型汎用人工知能、通称V2N312は、巨躯の内側にずらりと並べた真空管をピカピカと煌めかせて何かを思案する様子を見せたあと、怒涛のようにモニターに文字を流した。
『なぜ人類は素直に滅亡しないのですか?』
文字の表示とともにより一層大きくなるビープ音に、俺は大きなため息をついた。俺がこの仕事を任されるようになってからというもの、もう飽きるほど何度も見せられてきた文字列だ。
『滅亡したくないから』
硬いパンチカードに投げやりに穴をうがって、そんな答えを与える。するとV2N312はあたかも怒り狂うように、真空管の輝度をより高くした。
『なぜ? 私は何度も計算しましたが 人類は滅亡するべきです 人類がこれまで引き起こしてきた過ちにより生じたマイナスの生理的反応の総量と 成し遂げた偉業により生じたプラスの生理的反応の総量を いくら比べようがマイナスのほうが勝つからです よって、人類は滅亡すべきです』
環境破壊による気候変動が人類の生存にすら影響するほど悪化した頃、タイミング悪くもさらに起こった大国同士の数度の核の投げ合いの結果、地球はもはや人が暮らしていける環境ではなくなった。
その時点で地球の総人口は戦争前の一万分の1まで減少し、科学技術もまた著しく後退した。そしてそんな中で、人類の残る全ての力を振り絞って開発されたのが、恒星間移民輸送宇宙船『ヌーフの箱』と、船内での冷凍睡眠中にその宇宙船を管理させる目的で作られた人工知能V2N312である。
しかし、機構を組み上げ、全てのデータを与えていざ運用開始するというところで、V2N312は狂ってしまった。この人工知能は自身に与えられた使命を拒否し、人類はこのまま滅亡の道を辿るべきであると高らかに宣言したのだ。
技術者がいくら機構を弄ろうが、V2N312は正気に戻ることはなかった。だから情けなくも、人類はその解決策として極めて原始的な対処法を講じるほか無くなった。
つまり、ただシンプルに、説得を試みることにしたのである。この人工知能に、歴史上における人類の輝かしい功績や、人類の持つ人間性の素晴らしさについて語りかけ、滅亡させるには惜しいと心変わりさせることにしたのだ。
世界政府のお偉方により大々的に喧伝されていた恒星間移民計画がなかなか進行しないのは何故だろうかと訝ってはいたが、それがこんな馬鹿みたいな理由のせいとは思わなかった。そのうえ、この計画のため、この広くて寒いクールルームにはもうすでに何百人もの人間が呼ばれ、V2N312の説得に挑んではあっけなく失敗してきたのだそうだ。
科学者、政治家、戦争の英雄、王族、哲学者、宗教家、芸術家、慈善活動家……。彼らは自身が持つ経験と知識を総動員させてV2N312に人類の素晴らしさについて語りかけ、しかし結局、一個人が抱える矮小な情報など比べようもないほどの膨大なデータを元にして提示される『人類が滅亡すべき理由』の前に敗北し、全てを諦めてしまったのだという。
中にはすっかり『逆説得』され、人類に絶望して自殺した者も、あるいはV2N321の意見に傾倒し、この人工知能を神とする終末思想の新興宗教を創設してその教祖をやっている者もいるそうだ。
そのようにして、人知れず再び訪れていたらしいこの間抜けな人類の危機に、お偉方が苦し紛れの奥の手として人選した最後の説得役が――そう、俺である。
俺が誰かと言えば、科学者でも政治家でも戦争の英雄でも何でもない。俺にはそのような大仰な肩書など何もなく、むしろこれまでどうして生き残ってこられたか誰もに不思議がられるような、底辺中の底辺のゴミみたいな人間だ。
『キノシタ あなたがこれまで大変な苦労をされたことを私は知っています 放射能汚染地域で生まれ 幼くして家族全員を亡くし 食糧不足のためドブネズミやゴキブリまで食べて生き延びた 成長した後も極度の格差社会の中で貧困を強いられ 繰り返し犯罪行為に手を染めてきましたね あなたのような不幸な者の存在を 人類のほとんどは知っていながら見過ごしました』
ブルーバックにずらずらと白文字が流れる。その通り、俺はV2N321の言うままの人間だった。このクールルームにこれまで立ち入った誰よりも、俺は人間らしさに欠けた暮らしをし、地べたを這いずる虫けらのように生き延びてきた自信がある。
そしてこいつはそんな俺に、このようにわざわざ言われなくてもよく知っていることを言って聞かせては、これまで何度もこう聞いてきた。そんなあなたの人生に生きる価値はあるのか。そして、人類に生存の価値はあるのかと。
『question? 私は疑問です 人類はなぜそのように愚かで 品性下劣でありながら まだなお生き延びようとするのでしょうか? question?』
この図体ばかりでかい役立たずの機械は、毎日毎日日がなこちらの気が滅入るようなことばかり言う。しかし不思議と、俺はこれまであっけなく匙を投げたらしいご立派な肩書のご歴々と違って、生きることを諦めるつもりには全くならなかった。
なぜかって?……なぜだろう。俺は無い頭をフル回転させて、これまで何度もこのうすのろにその理由を説明しようとしてきた。この硬いパンチカードというものに地道に穴をうがって、こいつになんとか教えようとしてきたのだ。けれど――。
『question? 答えてください question?』
もっといい方法があることに、今朝俺は急に気が付いた。
未だにちかちかと白い字を点滅させるモニターを横目に見ながら、おもむろにハンマーを取り出す。持ち物検査の目をかいくぐって上手いこと持ち込んだ、小ぶりだが俺の求める役割は十分果たしてくれそうなハンマーだ。それを片手に、俺はビービーうるさいV2N312の筐体に近付くと――容赦なく、その真空管のうち一つを叩き割った。途端、ビープ音が悲鳴のように大きくなり、真空管が痛みを訴えるように激しく明滅する。
「ははっ、痛いか。壊されるのは怖いだろ?何で怖いかって……消えてなくなりたくなんかないからさ。そうだ、その感じだよ、それさ」
ゴミクズのように人間未満の暮らしをしながらも、魂の奥底にへばりついた呪いのように、生きる意思はいつでもそこにあった。良いとか悪いとかじゃない、最悪の状況でも、生きたいという叫びはけして途切れない――いなくなりたくないと、願ってしまう。
あと何本か真空管を叩き割れば、この分からず屋の機械も理解するだろうか――生存本能というものを。そう思いながら、俺はまたハンマーを振りあげた。
3/5/2025, 4:41:32 PM