私だけ
遠くに聞こえる誰かの叫び声、焦った様子の大人たち。
「何があっても声を出してはいけないよ。」
「じっと目をつぶって耳をふさいでいなさい。」
昼間には、笑って頭をなでてくれていた父の真剣な顔に僕は戸惑いながらも、うなづくしかなかった。
母を見上げると、僕に微笑む母の目には涙がにじんでいた。
扉を締め切る前に聞こえた母の声。
「お前だけは生きて」
―僕はこの暗い空間に息をひそめている―
部屋を出た後から、母の声も、父の声も聞こえない。
知らない声と、何かがぶつかるような、壊れるような、そんな音だけが聞こえていた。
父の言う通りに。
母の言う通りに。
ただ、耳をふさぎ、目を閉じて、体をこれ以上できないくらい小さくして、じっと黙っていた。
(もう出てもいいのかな・・・)
どのくらい時間がたっていたのか、耳に当てたままになっていた手は、自然に体の前で組まれていた。
外は何の音もしない。
内側から扉を押そうとしたその時、
「これは・・・ひどいな・・・」
知らない人間の声だ。
驚いて思わず体をひいたときに、カタンと小さな音を立ててしまった。
「誰かいるのか?」
その声に、涙がたまる、声を出してはいけないのに呼吸が早くなる。
口を手で押さえても、どうしようもない。
扉が開くと同時に光が見えた瞬間、これ以上ないくらい苦しくなった。
「もう大丈夫だ」
目の前にいる男の人は僕をみてそう言った。
後ろの誰かに声をかけてから、僕に手を伸ばす。
僕はとっさに体をひこうとしたが、これ以上後ろに下がることはできなかった。
「アレン、私の名前はアレンだ。君を助けに来た」
そっと、再び伸びてきた手は、気遣うように背中とひざ下に手を入れて外に出してくれた。
僕はその時、身体の力が抜けたことを覚えている。
後ろから来たもう一人の人は頭から布をかけてくれた。
「もう少しだけ目を閉じていてくれないか?必ず安全な場所に君を連れていくよ」
僕は小さくうなづいて、アレンという人に体を預けたとき、すぐに眠たくなってしまった。
完全に眠りにつく前に聞こえた声は、
「君だけが生きていてくれた」
身体を支える力が強くなったことに気づいて、父は?母は?そう聞こうとしたのに、そこで僕の意識は途切れてしまった。
「お前だけは生きて」
「君だけが生きていてくれた」
「僕だけ」はいやだよ。
そう答えたとき、目に映ったのは知らない天井だった。
7/18/2023, 10:39:58 AM