マトリカリア

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 愛してるよ。
 結婚したら白い家を建てて犬を飼おう。
 世界でいちばん幸せな奥さんにするよ。

 そう言ったのに。
 嘘つき。嘘つき。あんな男死ねばいい。
 ……
 …………

 無機質な取調室。向かいに座る年配の刑事は重っ苦しくため息をついた。

「ひとつでも貰いたいって男心を利用するとは、つくづく女はこわいねえ」

 机に並んだ写真には、通い慣れたマンション、見慣れたドア、使い慣れたティーカップ。
 そしてカップのそばのパステルピンクの紙の箱。三×三で区切られたチョコレートの小箱。
 今日中に全部食べてねと言ったら、おれを糖尿にする気かよ、なんて苦笑してたっけ。

「教えてください。あの男は死にましたか」
「……今朝がた息を引き取ったそうだ」

 ああ、神様!
 思わず快哉を叫んだ。よかったじゃない、病気にならずに済んで。
 うつむいて笑いを噛みしめていると、ふと手もとの写真が目に入った。
 九個のマスに並んだチョコレート菓子。

「……違う」
「は?」

 トリュフ、マカロン、ブラウニー。オランジェットにチョコレートバーにチョコチップクッキー。さくらんぼのへたが付いたボンボンらしきものに、胡桃かなにかが入ったパウンドケーキ。
 違う。私が作ったのは一種類だけ。いちばん簡単なチョコレートバーだけ。あとのは知らない。
 
「違う! 私じゃない!」
「おいおい……」

 半狂乱になって刑事に訴える。九個のチョコレート、そこだけぽっかり空いたマスを睨んだ。
 あの男がひとつだけ食べたチョコレート。
 それが私のものじゃないことが、死ぬほど悔しい。



(一つだけ)

4/4/2024, 10:45:58 AM