ゆかぽんたす

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気付いた時には勝手に手が出ていた。
乾いた音がした。でも、彼は顔色1つ変えずにあたしを見つめ返してくる。あたしに引っぱたかれた頬にゆっくりと手を添え、妖しく嗤っている。なんで嗤ってられるのかちっとも意味が分からない。バカらし、と思う反面その笑顔が不気味だった。
「聞こえなかったか?いくら欲しいんだよ」
もう一度その言葉を口にする。途端におさまりかけていた怒りが再沸騰してきた。もう我慢できない。これ以上ここにいるとそのうちあたしは彼を殺してしまうかもしれない。罵声を浴びせたい気持ちをおさえて、あたしはここから出ていくことにした。でも。
「逃げるのか?」
あたしがこんなに苛ついてるのが分からないのか。いや、わざとそんなことを言ってあたしの反応を見て楽しんでるんだ。それを思ったら尚更苛立たしさが増した。でも、コイツなんかに感情的になったら駄目だ。話をしても分からない相手なんだから、これ以上相手をするだけ無駄なのだ。言い返せないのが少し悔しいけれど、あたしは無言のまま扉の取手を握る。
「冗談じゃねぇよ」
背後から声がしたのと、あたしの手をドアノブごと握られたのは同時だった。彼がすぐ後ろにいる。さっきまでの、人を小馬鹿にしたような空気は無くなり、今はどこかピリピリしたものに変わっていた。
「ここまで執着しないのなら、金を出してお前を買うなんて馬鹿げたことは考えねぇよ」
「何、言って」
「お前だからこの話を持ち掛けたんだ。他の誰でもない、お前だから俺の全ての資産を対価にしてでも欲しいんだよ」
「……そんなの、」
勝手だ。この人は勝手で我儘でものすごく横柄な人間だ。物事が全てお金で解決できると思ってる。金を払えば何でも手に入れられるのだと、心の底から思っているのだ。当然そこにあたしの気持ちなんてものは存在しない。あたしのことを金で手に入れようとする人間なんかに、一生あたしの気持ちなんて分かるわけない。
「どいてよ」
「お前は俺のものだろう?」
「ならないよ」
「いくら欲しいんだ?」
「要らないよ……!」
どうせ、あたしの気持ちなんて分かってくれない。本当はあたしがあなたのこと、優しくて素敵な人だって思っていたことも。一瞬好きになりそうだったことも。
お金なんかじゃなくて、ただ一言、“俺のもとへ来ないか”って、ただそれだけ言ってほしかったのに。
やっぱりあたしには無理だな。お金よりも大事なものを知らないあなたは、あたしには無理なんだと悟った。

3/9/2024, 9:58:18 AM