人を百回愛す、と書いて
“優”と読めるということに50歳で気がついた
というある人の価値観に
19歳の時出会った
これは単にその人の考え方ではあるが
わたしにはどうも
しっくりきすぎてしまった
優しい というのは
これまた定義がつかない
ただ、この価値観に繋げるなら
たくさんの愛を抱えている人から順に
優しい人、優しさを与えてくれる人
に部類されるのだと思う
高校生の頃 隣の席の男の子に
無償の優しさをくれるよね、と
言われたことがある
ほう、私のあれやこれは
全部優しさとして伝わっていたのだと
当たり前にしてきたことが
それに値するのだと その時に気付かされた
当時の私は 家族と距離があって
毎日おてつだいさんのように過ごしてた
学校が終われば晩御飯をつくり食卓に並べ
私は同じ食卓にはつかない
食事が終わったら食器を下げ、
茶碗を洗い洗濯を回す
その間自分の身の回りの事を済ませ
日付が変わる頃に自室へ行く
そこから2時間課題をこなし
朝になる前に少し布団にはいる
そんな生活に耐えているうちに
きっと感覚が鈍ったのだと思う
空気を読んで機嫌を読んで
棘が立たないようにと必死だったから
もちろん、これ以上に
苦しい辛い思いをしながら
時を過ごす人は少なくないだろう
だから、そういう人には愛が足りない
受ける愛がないから 与えることで得ようとするの
数え切れないほど他人に尽くし
何度も愛を与えていくことが
いつしか優しさ に成っているということ
あたりまえ が やさしさ に値する瞬間なの、ね
みたいな、そんな考え方も
ありだと思うんだ
最後まで読んでくれた貴方は
きっと既に やさしい人間、
これからも そのままでいて
ありがとう。
_ ₂₂₉
1/27/2026, 5:56:43 PM