#踊る様に
石があるから躓くのではなく、
何か絶望が有ってそれを表す為に躓かせるが。
躓く石さえない様な、窪んだコンクリートさえ無いような場所で転んだとしたならどうだろう。
より絶望感を表せるのではないか。
では、踊らせるのはどうか。
音も無い 照明も無い客も居ないステージで踊らせるのは絶望を表すのにぴったりではないだろうか
「嗚呼、それは良い。」
お主はどっちが良い?
転ぶか踊るか
どちらも酷いものだ。
わたしは、じゃあと指差して石ころと踊る人形の両方を往復する。
踊る様に転べば。
いっそ、痛みもあり滑稽でもあり孤独なのでは。
そして転ぶよりも滑らかに立ち上がれるのでは無いか。
「では踊るのは絶望に値しない表現か。」
「いいえ。」
暗闇と無音は孤独で絶望ですが、躓いた石ころにもその後の物語があります。
石ころは立ち上がると言う希望を見せる。
「では、なぜ踊らせる。」
「自己愛です。自己を表現しています。」
しかし観客は疎か、誰の目にも触れる事が無いのならそれは正しく絶望と言えるのではないでしょうか
ほうほう。
「では、それに見合う希望の話をしよう。」
「さて、この駒の希望は何にするかね。」
そうしてカツン、と盤上に置いた駒は正しく踊る様に躓き転んだ所だった。
「そうですね、わたしなら」
9/8/2024, 1:07:14 AM