池上さゆり

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 子どもが生まれて初めて自分の無知を恥じた。妻は博識な人で、なにをするのにも困らなかった。子どものなんで、どうしてにも全て答えられるような人で尊敬していた。だから、妻の後ろに隠れて自分の無知がバレないうちは気持ちが楽だった。
 だが、子どもが小学生になり勉強を教えてほしいと乞われるようになった。小学生の問題なら解けるだろうと調子に乗って問題集を見せてもらった。だが、中学受験を視野に入れている子どもが解こうとしている問題はどれも難関で、恥ずかしながらなにも教えることはできなかった。
 その夜、妻に呼び出された。
「子どもの前ではバカなことぐらい隠して。親が自分よりバカだなんて思われたら舐められるでしょ。それに私も恥ずかしいわ」
 大きなため息をついてそう言われると、なにも言い返せなくて俯くことしかできなかった。だが、妻にそう指摘された頃にはもう手遅れで、子どもから勉強のことについて質問されることはなくなった。家の中では常に、子どもと妻が私がわからない話で盛り上がっている。子どもが成長すればきっとこんなことが増えるのだろうと思うと耐えられなかった。
 その予感は見事に的中し、高校生になる頃には見下した態度を取られることが多くなった。無知でも仕事で困ることはなかったのに、家庭での居場所を失った。それが、惨めで、恥ずかしくて、耐えられなくて、離婚した。妻とは連絡を取り続けていたが、子どもから連絡が来ることはなかった。
 学生時代、もっと勉学に励んでいればこうはならなかったのだろうか。今そんなことに気づいても手遅れだということはわかっている。
 それでも、後悔せずにはいられなかった。

5/15/2023, 2:49:31 PM