真岡 入雲

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【お題:鐘の音 20240805】


都にも、街にも、村にも、人の住む場所には必ず鐘楼がある。
鐘楼には鐘の魔具が設えられており、日に二度奏でられる鐘の音が、魔物から人々の生活と命を護る。

特殊な力を宿した道具を魔具と言い、魔具を作る者を魔具師と呼ぶ。
魔具師は誰でもなれるわけではなく、己の魔力を他へ移すことが出来る者のみがなれる職業である。
そして、彼の祖父もまた魔具師であった。

「そろそろだな」

彼はすくりと立ち上がると、部屋の奥の扉を開けた。
人ひとりが通れるほどのドアを潜ると、両の手を伸ばせば壁につくほどの狭い空間に出る。
そこに設えられた、木の梯子に手を掛け彼は躊躇無く登り始める。
建物の高さにして五階分以上、部屋自体も地上四階に位置しているため、上まで登ればその高さは目も眩むほどだ。
最後の段を登り、彼は目を細める。
東側の山の稜線が薄っすらと色付き始めている。
藍色の空が次第に明るくなり、朱色に染まりだす。
じきに太陽が顔を出し、この断崖にへばりつく様にしてできた小さな村にもその光の恩恵をもたらすのだろう。
村の北側、背後に絶壁を背負うような形でこの村の鐘楼は建っている。
東側は北側から続く急峻な山、西も同じく山ではあるがこちらはなだらかな斜面で、柑橘の木が植えられている。
そして目の前、南側には数件の古びた建物と、目が覚めるほど青い色をした海が広がっている。

「今日も平和な一日でありますように」

別に決まりという訳では無いが、彼は毎日そう口にしてから鐘を鳴らす。
一際大きな鐘を三回、小さい鐘と中くらいの鐘を交互に四回、大きい鐘、小さい鐘、大きい鐘中くらいの鐘、と複雑に組合せて独特の音色を響かせる。
鐘の音は背後の絶壁に反響し、遠くの東の山にぶつかって戻ってくる。
この鐘の音が聞こえる範囲が鐘の魔具の有効範囲。
鐘の音が澄んで聞こえればそれだけ魔具の効果は高い。
大きな都市などは大鐘楼を中心として複数の鐘楼を配置し、大鐘楼の鐘の音に合わせ他の鐘楼も鐘を鳴らすことで範囲を広げ、効果を高めていると聞く。

最後に大きな鐘を鳴らし、その音が大気に溶け込み消えるまで彼は目を閉じていた。

彼の家はその昔、この地を収める領主の一族だった。
優秀な兄の元、兄を支え共に領地の民に平和と繁栄をと身を粉にして働いていた。
だが、狡猾な臣下に騙され兄を罠にはめる形となってしまった彼の先祖は自ら兄に申し出て、領地の最果てのこの地に居を移した。
かつて良質な宝石が採掘された東の山の管理という名目で。
既に石は枯れ、猫の額ほどの土地では自分達が食べるものを作るので精一杯。
目の前の海には高い断崖を下って行くしか方法がなく、また海に出たとしても大型の魔物が生息しているため漁に出ることも難しい。
そんな誰からみてもなんの旨味もない、寧ろあるだけ管理に手間がかかるような土地に彼は今、ひとりで住んでいる。
三年前、流行病で相次いで両親を亡くし、魔具師であり、彼の師匠である祖父も前の冬に老衰で旅立った。
彼に兄弟はなく、一族の者も皆死に絶えた。
彼が最後のひとりなのだった。

「さて、食糧の買い出しに行かないと」

無駄に広い屋敷は、ここに移り住んだ際に領主である兄が建ててくれた物だと聞いている。
事実、屋敷の造りは古く200年ほど前の建築様式だ。
ただ、この屋敷がほぼ当時のまま保たれているのは、屋敷の至る所にある魔具のおかげだ。
劣化することも汚れることも無く、破損しても時間が経てば元の状態に戻るようになっている。
そしてその魔具の多くは初代の手で作り出されたもので、鐘楼の大きい鐘も初代が作ったものだった。
彼は部屋に戻りマントを羽織る。
深い緑色のマントは父が使っていた物だ。
因みに家具や服、小物等も魔具のおかげか劣化することがない。
ただし、食べ物や飲み物等はその範囲では無いようで、普通に悪くなる。
目下、彼の目標は食べ物や飲み物の劣化を防ぐ、若しくは遅らせる魔具の作成だ。

「おっと、薬草薬草っと」

山で採取した薬草は街でいい値段で売れる。
時間を見ては山に入り、採取した薬草を乾燥させている。
溜まった薬草を革袋に入れ、腰に剣を穿き馬を車に繋ぐ。
西の山を越えた先、隣の領へ続く街道沿いにある街まで三時間ほど。
今から出れば、日が落ちる前には余裕で戻ってこられる。

「準備よし!」

両親がいた頃は、街に泊まって翌日に帰る事もあった。
その時に聞く、村とは違う鐘の音を今でもたまに思い出す。
一人になってしまった今は、村から出られるのは朝の鐘と夜の鐘の間だけ。
鐘を鳴らし忘れると、家畜や畑が魔物に荒らされる。
先祖が守ってきた土地を、そんな事で失うわけには行かないのだから。

「さ、出発だ」

この先どれだけの鐘を鳴らすのか、彼には分からない。
晴れの日も、曇りの日も、雨の日も、風の日も、うだるほど暑い朝も、凍えるほど寒い夜も、彼は鐘を鳴らす。
今はその音を耳にするのがたとえ自分一人だけで、誰もいない村に虚しく響くだけだとしても。
この小さな村とも呼べない場所で彼は待つ。
彼の鳴らす鐘の音を、共に聞いてくれる誰かが来るのを。


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(´-ι_-`) カエルノタメニカネハナル ル҉*\( * ॑˘ ॑* )


8/6/2024, 4:48:07 AM