nada

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君、二人称“君”、日常使わない言葉なのにまだ生きていている言葉。うっすらと権力勾配を感じる言葉。坂の上にいるものが坂の下にいるものに使うのではないか。逆はないだろう。

の、うん。助詞だ。連体助詞あるいは格助詞。わたしの体はわたしのものだから君の体は君のものでもちろん君は君の目のことも所有している。

目、体の部位。視る能力を期待されがち。君の体のわたしの体のほんの一部。

を、えー、助詞。連用修飾語。だから、動詞をつなぐもの。をの後には動詞がくる。

見つめる、ということで動詞だ。見るとは違う。よそ見をせずそのものをじっと見ること、とかなんとか。じっとり湿った感じがして好きな言葉ではない。個人の感想ですが。

と、と?助詞だね。連用修飾(わたしと会う)か、並列か(あなたとわたし)なわけだけど、連用修飾語だと考えるのが妥当でしょう。

「この“と”をつけることで続く動詞を考えたくなるでしょう!動詞!何かが動く様子ですから、そこには主体がいます。行為者がいる。ここで”見つめる“に戻ってみると、その行為の主体が書かれていないことがわかりますね。はい、ですから想像してください。誰が、どこで、どんな風に“見つめ”、そしてこの、“と”以下です。何かが起こるわけです。“と”以下に続くであろう動詞の行為者と、“見つめる”の行為者は同一でもいいし、そうでなくてもいい。“君”というのは二人称ですから、少なくともこの場には2人、人で無くともいいわけですが、行為の主体となりうるものが、2体以上いるということです。そういうことを考えさせようというわけですね」

うーん……なんか、いや……いやーうん……

4/7/2024, 6:46:43 AM