maria

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「もしも未来を見れるなら」


晴れた初夏のある日、私は
結婚して豪邸に住む姉を久しぶりに訪ねた。
4歳離れた姉の功績は中学も高校も同じ学校だった私の重荷となっていた。

「あの樫本千晴の妹」

先輩たちも先生方も、成績優秀でスポーツも万能、美人でピアノが抜群にうまい完璧な姉を持つ私のことを皆はそう呼んだ。
私の名前は「千晴の妹」ではない。

 姉は卒業後音楽大学のピアノ科に進んだため、私は好きな絵の道を選び、ようやく姉の呪縛から解き放たれた。

 姉は既に在学中から海外のコンクールに出場し、第三位に入るなど卒業前から大注目のピアニストだった。
 卒業後は国内のみならず海外からもリサイタルのオファーがひっきりなしで、両親も大喜びでツアーに同行している。どこまでも私を圧倒的に突き放して光の中を進む姉が、私は苦手だった。
 小さい時から私も憧れだった近所の
大きな田中医院の長男、伸一さんと姉が結婚して引っ越してからは、
ますます私は自ら姉から遠ざかった。

それが先日、30歳の誕生日を区切りに
突然ピアニストを引退してしまったのだ。
そして今日その姉が 

      新居に遊びにおいで

と、私を強引に誘ったのだった。
 良い天気とは裏腹に私はかなり憂鬱だった。

「久しぶりー。千夏。
よく来てくれたわね。入って、入って。」
相変わらず美しい姉が眩しかった。


「ねえさん、元気にしてた?」
引きつった笑顔をつくり、手土産のケーキを渡す。

重いドアを通り抜けると吹き抜けのエントランスがある。姉さんの演奏に感激したパトロンの誰かが贈ったであろうビーナス像が置かれ大きな絵もかけられていた。

 さらに両開きの木のドアを開けると、そこは30畳ほどもある明るいリビングだった。
 壁の一面がまるまる水槽になっていて、伸一さんの趣味である色とりどりの大小の海水魚やサンゴ、イソギンチャクなどが、揺れていてまるで水族館のようだった。

私は座ることもせず視線は水槽に釘付けになった。

「ビックリしたでしょーう。」
私の後方でケーキを切るナイフをカチャカチャと用意しながら姉が明るく言う。
 彼の趣味ちょっと理解できなくて。うふふ、と笑っている。

「ねえさん……」  

「このあいだ、たまたまなんだけど」
みちゃって、伸一さんのスマホの履歴。
姉がクスクスと笑う。
「抜けてるわよねえ。開きっぱなしで飲み物を取りに行くなんて」

「ねえさん……」

「私の誕生日をここでお祝いしてたの。
今みたいにナイフを持って、ケーキを切るところだったのよねぇ。」ふふふ。

姉が視線をナイフに落とし、声をだんだん落としていく。

「ねぇ千夏」

姉が見つめているであろう私の背中を
一筋 汗が伝う


「伸一さんを私から奪おうとしたの?」



「ねえさ……」

「伸一さんたら、もしも未来が見れるなら
キミを選んでいただろう なんて」

     書いてたけど うそよね。

姉が低くゆっくりと語る、後ろから私に近づきながら。

私の足は絨毯に縫い留められているように一歩も動けなかった。



私の目は

水槽の「内側から」
大きく口を開け、
目を見開いて私のほうを凝視する

ゆらゆらと揺れる伸一さんを捉えていた。


「……!ご、ごめんなさ……」

振り返った私の視界は
間もなく真っ暗になった。

4/19/2023, 1:18:22 PM