一尾(いっぽ)in 仮住まい

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→短編・故事

 真っ暗な芝居小屋で、私は枠どられた小さな舞台を観ている。
 舞台は1メートルほどの高さで横幅はその1.5倍ほどだ。枠全体を半透明の紙が覆っていて、奥から明かりがほんのりと舞台を照らしている。影絵芝居だ。
 私はサンザシの串を片手に握りしめている。酸っぱいサンザシにかかった飴が甘い。周囲の中国語のザワメキが耳を打つ。
 右手左手から現れる紙人形の穏やかでユーモラスな暮らしに、私は目を輝かせる。小さな村の暮らし。
 しかし、大きな銅鑼の音がした後で、様子が変わった。太鼓や琴の音に合わせて、何本もの支持棒で操られた龍が登場する。
 龍は天地を暴れ回り、市井の人々を襲い始めた。圧倒的な力に蹂躙され、穏やかな人々の生活は一瞬にして消え去った。
 生き残った人々は何もできなかった。山中の洞窟に隠れ棲んで、龍が去るのを待った。
 半年後、ようやく龍が村を離れた。しかし人々は洞窟をすぐには出られなかった。それほどまでに龍襲撃の恐怖は人々に恐怖を植え付けた。
 明日出よう、明日出よう、やっぱりもう一日待とう。
 結局、誰も洞窟を出ることができずに、村人は死に絶えた。
 二胡に重なって、勘違い声は謳う。
「哀れ、哀れ。之、まさに龍後の不覚」
 チャルメラの音、銅鑼の音、太鼓の音、舞台の灯りが消えていく……。

 私ははっきりとこの芝居小屋の一幕を覚えているのだが、家族親族友人の誰も知らないという。
 私は日本育ちで、中国に行ったことはない。誰に尋ねても、「龍後の不覚」などという故事は聞いたことがないという。

テーマ; 影絵




4/20/2025, 9:45:51 AM