結城斗永

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「行かないで……」
 ぼくがどんなにお願いしても、お日様は山の向こうに沈んでいく。
 そして夜はいつものようにやってきて、ぼくの部屋を闇に変えていく。
 どうしよう、部屋が暗くなったら、あのおばけがやってくる。
 朝が来るのも怖いのに、夜も怖くなってしまったらどうしよう。

 とうとう空は真っ暗になって、ぼくの部屋も夜に包まれた。
 だんだんと部屋のすみっこにぼんやりと白いのがうかんでくる。
 その中に黒くて丸い目が二つ、じっとこっちを見つめている。
 おばけは何もしない。ただじーっとぼくの方を見つめるだけ。
 ぼくにはそれがとても恐ろしくて、隠れるように布団にもぐりこむ。
「おばけなんていない……。見られてなんていない……」
 そうつぶやいても、そのおばけが布団の外にいる感じは夜の間ずっと続く。
 早く朝が来てほしいと願う。あんなに怖かった朝が。

 ある夜のこと。
 ぼくがいつものように布団の中にもぐっていると、なにかが床に落ちる音がした。
 布団のあいだから覗くと、床に転がったお気に入りのおもちゃの横に、あのおばけがじっと立っていた。
 落ちているおもちゃに触ろうとしてるのか、何度もすり抜けながら行ったり来たりしている。
「拾いたいの?」
 ぼくは思わずおばけに声をかけていた。おばけは動きを止めて、いつものようにじっとこちらを見る。
 少し怖かったけど、ぼくはベッドから出ておもちゃを拾い上げる。
 おばけにおもちゃを差し出すと、白い光がふわっと明るさを増した。喜んでるのか?
 もしかして、意外といいやつなのかな。
 
 その日から、ぼくは少しずつおばけに話しかけるようになった。
「ねぇ、どうしてぼくの部屋にいるの?」
 おばけは、何も言わずゆっくりと首をかしげる。
「名前はなんていうの?」
 そうたずねても、おばけは首をふるばかり。
「じゃあ、ぼくが名前をつけてあげるよ。ふわっと光るから『ふわ』ってのはどう?」
 おばけは、ふわりと光って、うれしそうにゆらめく。その仕草がなんだか可愛くみえる。
 決定。今日から君は、『ふわ』だ。

 だんだんと夜が来るのが、こわくなくなった。
 何なら、夜が来るのが――ふわに会えるのが楽しみになってきた。
 ぼくが絵本を読みはじめると、ふわも一緒にのぞき込んでくるし、眠るときには、ぼくの布団のすぐ横に座って見守ってくれる。
 夢の中にも出てきてくれて、一緒に遊んだこともある。
 ふわは、気づいたら友だちみたいになっていた。
 だから、朝が来るのがまた怖くなってきた。
 朝になったら、ふわはいなくなってしまう。だったらずっと夜が続いた方がいい。

 その夜は、もうすぐ朝がやってくるというのになんだか眠れなかった。
 起きている間は夜が永遠に続く気がして、ふわと一緒にずっと絵本を読んで過ごした。
 でも、お日様はいつものようにやってきて、世界を朝に変えていく。
 山の向こうから光が差しこんでくると、次第にふわの体が透けていく。
「ねぇ、ふわ……行かないで。もうちょっと一緒にいようよ」
 ぼくはふわの方に手をのばす。でも、あのおもちゃのようにスッと体をすりぬけてしまう。
 ぼくはこんなに悲しいのに、ふわの体はふわりと白く光ってる。
 まるで『心配しないで』と言ってるみたいだ。

 お日様の光が世界を朝に変えると、ふわの姿はもう完全に見えなくなっていた。
 でも、いなくなったんじゃない。見えなくなっただけ。何となくそんな気がした。
 ふわは朝が来てもそこにいて、ぼくを見守ってくれてるに違いない。
 ぼくは久しぶりに部屋の窓を開けて深呼吸をする。もう何ヶ月も浴びていない外の空気は少し冷たかった。
 ふわがいつもそばにいてくれたら、ぼくは外を歩けるようになるかな。
 部屋の中を見渡す。ふわの姿は見えない。
 また夜になったら遊ぼうね。ふわ。
 ぼくが笑うと、部屋の隅がふわりと白く光った気がした。

 #行かないで、と願ったのに

11/3/2025, 2:05:51 PM