麦わら帽子がひらひらと落ちていく。
風に吹かれてふわりと舞い上がり、あっという間に手の届かない場所へ飛んでいってしまった。
あれは、おかあさんのぼうし。
橋の上、眼下には深い深いお堀の沼。
私は母の腕に抱かれて、上から降ってくるパンくずを当てにしてバシャバシャと群らがるたくさんの鯉たちを見ていた。
その日は風が強かった。
落ちていく帽子を捕まえられたらよかった。
何もできなかった。
私はどうしてもどうしても悲しくなって、声をあげて泣いた。
別に気に入りの帽子だったわけではない。
まして自分の帽子でもない。
“おかあさんのぼうし”があの沼に吸い込まれてしまったことが、どうしたって悲しかった。
沼は怖い。
暗くて深い。
きっと落ちたら助からない。
そんな場所に母の一部と思えるものが落ちてしまったことに、言いようのない恐怖を覚えたのかもしれない。
そんな私を見て母は笑っていた。
“あんたの帽子じゃないのにね”と。
今でもときどき思い出す。
幼少の頃の少し切ないこんな思い出。
❄︎
ところであの落ちた帽子は結局どうしたのだろう。
きっと拾ってもらっただろうとは思うが、まさかあの食いしん坊の鯉たちが食べてしまっていないといいのだが。
『落ちていく』
11/23/2024, 12:09:10 PM