何を聞きたくて、聞きたくないのか。
何を知りたくて、知りたくないのか。
無意識下に行われるその線引きは、一体この体のどこで行われるのか。
そんな理屈、とんと見当もつかなかったが、一つだけはっきりと分かることがある。
「――おわっと! も~隊長? どうしたんすか、急に立ち止まらないで下さいよ。危ないなあ」
前触れも無く歩みを止めて立ち止まった俺の後ろから、危うく俺の背中へと激突しかけた参謀殿の、堪らずの不満な声が追いかけて来る。
その間近からの声を飛び越えて。
俺の視線はじっと、今しがた通って来た道のその向こうへと釘付けだった。
参謀殿の背後、その後ろに伸びる隊列の奥。
高く昇った日の光さえも遮るように生い茂った森の木々に阻まれて、今朝方に発った村の面影など、微塵もうかがえるはずもなかったが。
目を凝らせば凝らすほどに、それは確かに聞こえてきた。
「ねえ、隊長。ちょっと聞いてます?」
「ああ? ああ悪い、聞いている。聞いているが――よし、戻るぞ」
「へっ?」
「前進止め。村まで引き返す。先鋒と殿(しんがり)に伝えろ。武装は解くなよ。たぶん、あっちで直ぐさま交戦になる。引き返しながら策練り直すぞ。良い知恵頼むぜ、相棒」
「ええ? いやいや、いやちょっと待って!」
話を聞いていると言いつつも、その反対に動いてくるりときびすを返す。
参謀殿の隣を通り過ぎ、元来た道を歩き出す俺に待ったの声が追いかけた。
すぐさま背後から腕が伸び、強い力で肩を掴まれる。そうして次に踏み出す一歩を止められた。
「急に立ち止まったかと思えば、一体何寝ぼけたこと言ってんです。作戦の要の砦まで、もう目と鼻の先のところまで来てるってのに。まさかここまで来て、先読みの天啓でも受けたとか、そんな頓知気なこと言いませんよね?」
「あっはっは! いいなあ、それ。面白え! ――でも。そのまさか、なんだよなあ」
「はあ?」
苛立たしげに眉根を吊り上げ、突如持ち出された方針転換への不信感を隠そうともしやしない。
その生真面目で有能な参謀に向かい、手を合わせ拝むようにして頭を下げた。
「悪い、おまえの読みが外れるとか言いたい訳じゃねえんだ。 ――でもな、この耳に聞こえて来ちまったんだよ。村に預けて来た俺たちの姫さんの、助けてっていう悲鳴がな。おかしいよなあ、そんなもん聞こえるはずがねえ距離なのに」
「本当ですよ。朝に発って、どれだけ村から離れたと思ってるんです。隊長、あなたこの蒸し暑さで頭ん中沸きでもしたんすか」
「ははっ。そうかもしれねえなあ。うーん、でもなあ」
下げていた頭を上げ、冷ややかな視線を送る参謀の目を正面から見据えれば。俺の視線に気圧されて、何かを言いかけていた参謀殿の口がぐっと押し黙る。
揺れる彼の瞳から目をそらさずに、心の内を余さず伝え切った。
「でもなあ、後悔はしたくねえ。馬鹿みたいな幻聴だとしてもだ。それを無視したそのせいで、最後に皆で泣く羽目だけにはなりたくねえんだ。 ――頼む。この勘、信じさせてくれよ」
そう言って再び頭を下げる。
そのまま待ってみたが、参謀殿は応えやしない。
しばらくして不安になり、少しだけ目線を上向かせて様子を伺えば。
眉間を固く指で抑え、苦虫をかみつぶしたような表情で思案を続ける彼の姿が目に映った。
絞り出すようにして彼が言う。
「その降って湧いたようなあなたのお告げ。迫る危機はいつですか。今? それとも未来? それに姫を脅かす、その正体は何だと?敵の急襲……もしくは、偶発的に集中した魔物の群れだとでも?」
「いやあさっぱり。悪いがそこまでは全然わっかんねえな」
「ハッ! 分かんねえのかよ。隊の命運変えようってのに、くそ過ぎて笑えるねえ。こりゃあ傑作だ」
怒り心頭な参謀殿は煩わしげに、いつもとは打って変わる荒い口調で吐き捨てた。
ヒリつき熱を帯びてゆく。作戦会議とも呼べやしない俺たちの言葉の応酬に、遠巻きに見守る仲間たちがオロオロと視線を揺らし、目配せし合ってざわめき出す。
その様をちらりと一瞥して伺うと。参謀殿はつかつかと歩み寄り、有無を言わさぬ力で俺の胸ぐらをぐいと引き寄せた。
意図せず勢い余り、互いの頭をごんと打ち付ける。
慌ててすまんと一言謝るも。
それでも参謀殿は胸ぐらを握り込む力緩めずに、寧ろさらに顔を寄せて近付くと、そっと耳打ちしてこう告げた。
「もしですよ。もし仮に俺の見立てが崩れて、あなたの言うような戦況の逆転が起こるのなら――それはこの中にネズミがいるということです。その可能性が極めて高い。その方向で進めてしまっても?」
いつも通りの口調で伺いを立てる丁寧な言葉。
さきほどの暴言が嘘のように紡ぐその静かな物言いに、俺は頭の痛みも忘れて目を見開いた。
――マジか。さっきのあれ全部、咄嗟の芝居だったのかよ。まったく、とんだ狸か狐野郎だな。
参謀殿の末恐ろしさに二の句を継げないでいれば、それを肯定と受け取ったのだろう。
にこりと一つ微笑んで、漸く掴んでいた胸ぐらをぱっと離して参謀殿が退いた。
強かな相棒は手を払ったのち、大仰に俺を指差すと。
二枚目役者も舌を巻く迫真ぶりで俺たちの仲違いを装い続ける。
「そこまで言うのなら良いっすよ。あなたのその野生の勘に乗りましょう。 ――但し。その勘外れて、すべて水の泡となったとき。そのとき、あなたはどう落とし前つけるつもりっすか?」
不遜な態度の皮を被りつつも、それが本気の問いかけであることは見て取れた。
真っ直ぐに射抜いてくる彼の視線から目を逸らし、まぶたを閉ざして耳を澄ます。
そうしてみれば相変わらず、きらりと光るように瞬いて、姫さんの声が頭の奥で木霊した。
――本当に、俺は一体どうしちまったんだろうねえ。何でこんな声が聞こえるんだか。
その訳は一向に分からぬままだったが、それでも何がどうしても。
頭に響く、姫さんの悲痛な声を知らぬふりして聞き流す。
そんな不義理な真似して耐え抜く薄情さなど、不器用な俺が持ち合わせている訳なかったのである。
だからこそここは、相棒の奇策をねじ曲げてでも。
俺たちで救ってやるしか道はないのだろう。
ゆっくりと考えを重ね悟るように。
先ほどから繰り返し続ける自問自答を反復して。
やはりこの勘に頼るしかないと心を決める。
そうして己の頑固さを呪うように笑いをもらして、長らく待たせた参謀殿の芝居に乗っかってやった。
下がっていた顔を上げ、俺の決断の行方に注目する皆へ聞こえるようにして声を張る。
「そのときは何も問題ない。一時の迷いで隊への信用台無しにする、この不肖な一兵卒。その大将首掻っ捌いて、どこへでも土産に持って行けばいい。そんくらいの覚悟は、隊長の任を受けたときからちゃんと構えているさ」
ただただ、淡々と。さらりと一息に言ってのければ、俺の狙い通りにどよめきが走る。
その動揺は参謀殿とて同じこと。
あれだけ興の乗っていた芝居を忘れて一瞬だけ。くしゃりとその端正な顔を歪ませると、
「そんな真似、させるはずがないでしょう」
と呟き鋭く睨まれた。
その駄々っ子のように拗ねる表情に、こちらも調子が狂って笑いが漏れる。
「ははっ。その気概がありゃあ充分だな」
頼もしい相棒に腕を回して宣言する。
「よっし。姫さん助けに戻るぞ。 ――行くぞお! おまえら!」
「応!」
歩みを止め、停滞した隊の士気がまとまり一つとなる。
その雄叫びの向こうでまたきらりと一つ。
姫さんの声が、届いて消えた。
(2026/05/04 title:092 耳を澄ますと)
5/5/2026, 1:39:44 AM