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【初恋の日】

ぽつん。最初はそんな感覚だった。
ぽつん。ぽつん。ぱたっ、ぱたぱた。
そうして落ちてくる雫が水面に波紋を広げるように心に染み込んでくる。
時間を重ねると、いつの間にか落ちてくる雫が勢いを増し、ざあざあと雨が降るように水面に叩きつけられて水波を立てた。

凪いでいた心は落ちてくる感情に波風を立てられて激しく音を立てて揺れ動く。
それに合わせてどくん、どくんと心臓が鳴った気がした。血の巡りが速くなって、体がぽかぽかして暑いくらいだ。特に顔が。
頬も思わず緩んでしまいそうになって口を引き結ぶ。だらしのない顔になるのが嫌で必死に顔に力を入れれば顰め面になっていたようで顔面が痛い。

「どうしたの?」

必死に渋面になるのも、にやけ顔になるのも回避しようとしていたら、この心の元凶である女は不思議そうに尋ねてきた。
何も知らない何気ないひと言に、心の中はまた揺れ動く。
あああ、もう勘弁してくれ。そう思っても不思議そうに顔を覗き込んでくると、ぴとりと女の指が眉間を押した。

「すごい顰め面。すごく悩んでることでもあるの?私で良かったら聞こうか。聞くだけしかできないけどね」

触れた指を頭を振って払う。
前髪を少しだけかき集めて眉間を隠した。

「なんもねーよ」

ぽつりぽつりと積み重なってきた感情。
どうして今、突然に自覚してしまったんだろうか。

「強いて言うならお前のそういうところ」

女は何が?とでも言いたげに首を傾げる。
簡単に触れてくるところ。触れられたところが熱くなって、雫になるとぽつりと心にまた落ちていく。
何とか落ち着かせたいと思っているのに、凪ぐ事の無い心の揺れ。

恋って、好きって、こんなにも落ち着きのないものなのだろうか。
まるで心の中が沢山の感情で嵐のような状態。
そう。まるで今日のような土砂降りの雨の日みたい。

「傘使っていいよって言ってたろ」
「持ち主がびしょ濡れになって帰るのは良くないよね。それに方向一緒だし」
「だから、そういうところ」
「ん?さっきからなに。もしかして私が待ってたから怒ってるの?」
「ちげーし怒ってねェし。勘違いすんなよ」
「そう。なら良かった。じゃあ相合傘して帰りましょうねー!」

女に預けていた傘は少しばかり大きくて、2人で入ってもそう濡れる大きさではない。

「俺が持つよ」

開こうとしていたところに声をかければ、ぱっと傘を開いて渡してくれる。

「よろしくお願いします」
「お前の身長に合わせるとあれだから、俺の腰が曲がる」

建物の玄関口を出て歩き始めると濡れないようにと、すり寄ってくる女の頭が肩の下に見えた。

積もりに積もった初めの恋の感情に気がついた日がこんなに酷い雨の日で、それも相合傘をした日なんて。

5/7/2024, 1:06:44 PM