「愛を注いで」
注いでいる。めっちゃ注いでいる。なんなら溢れるくらい注いでいるつもりだ。
でも娘には、この思いは伝わらない。
愛を注ぐとは、なにも喜ぶことをしてあげることだけではない。過保護にならないように、過干渉にならないようにと、娘の要求を却下することもあるし、時に放っておくことも必要だと思う。
ただでさえ、多感な年齢だ。親に反発もしたくなるだろう。
なので私は、最初から思っている。娘が私の気持ちを理解するのは、まだ先の話だと。
どんなに娘のことを思っても、どんなに娘のためになることでも、本人にはそれがわからない。当然だ。娘にとって、毎日が未経験の連続だからだ。
親は知っている。自分が手痛い思いをし、後悔をし、こうすればよかったとか、ああすればよかったとか、経験で知っているのだ。
でも子供は違う。そんな簡単なこと、ちょっと考えればわかるでしょう?はわかりません。わからないから失敗するのだ。親はそれを見守っていればいいのかなと思っている。
失敗から学ぶことは、親が手を貸してあげるより、よほど本人のためになるはずだと思うから。
なので親の気持ちなんて、娘が親になるまでわからないと思っている。
生まれた時から今まで、傍若無人で、理不尽で、自分勝手で、わがままで、甘えん坊で、お腹が空いては泣き、眠くなっても泣き、そのくせ、Youtubeばかりみて宿題は後回しだわ、制服は脱ぎっぱなしだわ、洗濯物は出しっぱなしだわ、誰もいないのに電気は消さないくせに、やれ夕飯はマックがいいだの、魚と野菜は嫌だの、デザートがないだの、挙句の果てに「今日は疲れたから早よ寝るわ」って、何様だ。
そんな娘を毎日毎日、朝は起こして、弁当も朝食も作って、洗濯もして、お風呂も洗って、トイレ掃除もして、掃除機をかけて、仕事に行って、帰りに買い物に行って、洗濯物を取り込んでたたんで、ご飯の用意をして、保育所に迎えに行って、習い事も送迎して、熱がでたら仕事を休んで、アイスも買って、お風呂に入れて、宿題を見てあげて、寝かしつけをして、明日の弁当の用意して、連絡帳にサインしながら、何か忘れてないか、いや何かあったような気がすると思いながら、明日も頑張るのだ。それが親だ。
そして娘が親になって、同じように子供のために頑張ったとき、ふと「ああ、親って大変なんだね、あの時はごめんね」とわかってくれると思う。
それまでは、拒否られようと、返事がなかろうと、イラつこうと、手を挙げそうになろうと、自分にできる精一杯の愛情を注ぐのだ。
娘よ。私のかわいい娘よ。
頼むからゴミは分別して出しておくれ。
12/14/2022, 10:02:00 AM